お江戸のベストセラー

方言修行むだしゅぎょう 金草鞋かねのわらじ江之島鎌倉廻えのしまかまくらめぐり

17

浄光明寺・荒居焰魔

※本文中のをクリックすると、その場所の写真を表示します。

浄光明寺じょうこうみょうじ

浄光明寺の境内にある慈恩院には矢拾地蔵やひろいじぞうが安置されている。網引地蔵あみひきじぞうは境内後ろの山中にあり、藤原為相ためすけの塔は、さらに登った上にある。
景清の土牢は、浄光明寺の先の化粧坂けわいざかの山ぎわにある。

狂歌

あみ引の ぢぞうのまへの ちや屋にきて
あとひきぢざけ のむぞたのしき

網引の地蔵の前の茶屋に来て
後引き地酒飲むぞ楽しき

旅人Ⓐ「なんでも旅先では、えらく銭を取られることがあるから、ウッカリとは飲めん。でも、貴公のおごりなら、ウッカリと飲んでもよい。」

旅人Ⓑ「なに、旅へ出ておごりということがあるか。なんでも割り勘だ。さっきオマエが飲んだ甘酒の八文は、オレが出しておいたから、よこしなさい。」

旅人Ⓐ「オヌシ、きたないことを言う。それを言うなら、昨日の渡し銭の二文をよこさっし、よこさっし!」

旅人Ⓑ「いやいや、あれは雪ノ下の団子の銭四文を差し引けば、ソッチから二文釣りをもらわなきゃならん。だから早く勘定さっし。ソレ、ソレ! 女中が来た。」

旅人Ⓒ「もう一合やりたいが、いっそのこと、一銚子、一銚子。」

新居閻魔あらいえんま

それから姫ヶ谷を過ぎて、新居の閻魔にいたる。閻魔さまが口に幼な子の付け紐をくわえているのには、いわれがあること。
海蔵寺のご本尊は啼薬師なきやくしという。むかし、山中で毎夜幼子の泣く声があり、その声のするところからこの薬師を掘り出したという。ここの門前には、底脱ノ井そこぬけのいと呼ばれる井戸がある。

狂歌

たうとさは たぐひあらゐの ゑんまどう
まいらぬ人も なきやくしなり

尊さは類いあらいの閻魔堂
参らぬ人もなき薬師なり

参詣「もしもし、かみさん。新居の閻魔さまは、ここですかの。閻魔さまは、奥にござりますかえ。」

「今、奥でうたた寝をしておりました。あそこへ行って鰐口わにぐちをお叩きなさると、じきに目をお覚しになります。閻魔さまは、とかく鰐口が大好きで、わたしの鰐口を叩いてみたいと、まったくわたしをお放しになりませんから、
『おまえさまには、三途の川のババさまというお妾さんがいるから、その鰐口を叩きなされ。』
と、言いましたら、
『いやもう、あのババのは鰐口ではない。木魚のようにボクボクしていかん。』
と、おっしゃりました。」

注釈

矢拾地蔵
足利直義(あしかが ただよし)の自念仏と伝わる地蔵菩薩。戦さで直義の矢が尽きてしまったとき、矢を拾い集めてくれたという伝説がある。現在は収蔵庫に安置されている。
藤原為相
冷泉為相(れいぜい ためすけ)。鎌倉時代の公卿、歌人。
阿仏尼の子で、訴訟のため鎌倉へ下った母を追って鎌倉に来る。鎌倉で多くの歌を詠み鎌倉歌壇を指導する。
景清
平景清(たいらの かげきよ)
『平家物語』で見せ場をつくる以外はあまり記録がなく史実がよくわからない武将。逆にそれが庶民の萌え心を刺激したのか、フィクションの世界で超絶ヒーローとなり江戸期には悪七兵衛景清(あくしちびょうえ かげきよ)として浄瑠璃、歌舞伎で大活躍した。
伝説のひとつに、頼朝暗殺を企だてた景清が捕らえられ土牢に入れられるも「源氏のものは口にしない」と言って絶食して果てたという話があり、その土牢が化粧坂の近くに残る。
姫ヶ谷
魅惑的な名の谷ですが、どこにあったのかは不詳。
いわれがある
円応寺のパンフレットによると「昔むかし、閻魔堂を根城にしている山賊がいて、幼子を連れた女人をさらってきたが、閻魔さまが幼子を口の中に入れてお救いになった。」というような伝承があるようです。なお、現在の閻魔さまは付け紐はくわえていません。
底脱ノ井
安達泰盛の出家した娘、千代能(ちよの)が井戸で水を汲んでいたとき、桶の底が抜けて水がこぼれた瞬間に開眼し、悟りを開いたという伝説が伝わる。
 千代能がいただく桶の底ぬけて
 水たまらねば月も宿らず
 ウォーター!
→こんなかんじ(月百姿 千代能)
鰐口(わにぐち)
仏殿の正面に吊り下げられた金属製の音響具。参拝するときに綱を振って打ち鳴らす。