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杉本観音

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杉本観音すぎもとかんのん

金沢から再び鎌倉へもどる道に、足利あしかが基氏もとうじの屋敷跡がある。その右の方には杉本観音があり、大蔵山だいぞうさんという。坂東巡礼第一番の札所である。
この脇を流れる滑川なめりかわには、青砥あおと左衛門さえもんが銭を落としたという伝説が残る。
また、杉本観音の東には浄妙寺があり鎌倉五山の一つで禅宗の大寺である。稲荷山とうかさんという。ここに足利あしかが直義ただよしの木像がある。

狂歌

富ならで 第一ばんの すぎもとは
あたり札所の くわんおんにこそ

富ならで第一番の杉本は
当たり札所の観音にこそ

旅人「わしはこのあいだ妻子と死に別れ、気を落として、いっそのこと坊主になろうと思い頭を半分剃りかけたが、いやいや、坊主にならずとも、このままで西国巡礼でもしようと思い立って出かけました。すると妙なことに、とかく毎日気をつけてみたが、昼前はすることなすこと運がよく、昼過ぎからはどうも運気が悪いのはどうしたことだと、よくよく考えてみたらそのワケがある。
わしの頭が、右の鬢先びんさきから剃り落として半分坊主になってやめたものだから、半分白くて半分黒く六曜のうちの先勝せんしょうというものになったからのことさ。なんとも、もっともなことじゃないかえ。」

旅人②「向こうへ行く年増の尻つきが、ムッチリとして、どうもあんばいがよさそうだ。どうぞ、この巡礼にご報謝してくださるまいか。」

注釈

足利基氏
南北朝時代の武将。足利尊氏の子で初代鎌倉公方。
青砥左衛門
青砥藤綱(あおと ふじつな)。北条時頼に仕えた鎌倉中期の武士。
夜に滑川に銭10文を落とし、50文で松明を買って探させた逸話を持つ。藤綱は「銭10文を失えば、その銭は永久に返ってこない。松明を買えば、商人は50文もうけて、私にも10文返ってくる。合わせて60文の得なり!」と、大岡裁きのようなことを言ったとか。
足利直義
南北朝時代の武将。足利尊氏の弟。気分屋の兄を補佐する実直な弟として討幕戦を戦い、室町幕府では尊氏との二頭政治を行った。しかし後に、兄との不和から南朝と北朝それぞれの武家や公家も巻き込んだ壮絶な兄弟ゲンカを起こし、最期は浄妙寺に幽閉されて毒殺された。
直義の木像は『新編鎌倉志』などの江戸期の記録にはみえるが現存はしてないもよう。
先勝
大安や仏滅などと同じ暦注の六曜のひとつ。午前は吉、午後は凶。マークは