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瑞泉寺・天台山

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瑞泉寺ずいせんじ天台山てんだいさん

大塔宮おおとうのみやの土牢は二階堂村の山ぎわにある。二階堂には永福寺ようふくじの跡もあり、今はそのいしずえだけが残っている。
瑞泉寺は、土牢の東北にあり錦屏山きんぺいざんという。本尊は釈尊をお祀りする。一覧亭の跡が庭園の座禅窟の上にある。
天台山は、一覧亭の向こうの高い山である。

狂歌

見とれつゝ 人はうごかぬ ざぜんくつ
にほんいちらん ていのけしきに

見とれつつ人は動かぬ座禅窟
日本一覧亭の景色に

旅人「さては、ここはむかし、大塔宮さまの土の牢か。こんな所に入ってござって、ご窮屈であったろう。
わしも若いとき、ふとしたことから座敷牢へ入れられたことがあったが、それでも親というものはありがたいもので、
『あれが一人でさみしかろう。』
と、女を一人くれたから、ほかにすることはなし、それから夜昼、子をこしらえることばかりに夢中になって毎年産ませたものだから、子が増えると親父がまた、
『あの子が不憫な、座敷牢が狭かろう。』
と言って、路地の隅に古屋をかけて、みなそこへやられて、そこで子供を育てていたが、だんだん子供が大きくなって、後には路地へ這い出してそこら中へたれるものだから、長屋のやつらが小言を言うには、
『いまいましい。このごろは、ドブ板の上がクソだらけで踏んづけて困る。いっそ、あの子供らを炭俵へでも入れて捨ててしまえ!』
と、ある晩に長屋のヤツが二人、ほっかむりして子供を捨てようとそこらをウロついたものだから、子供たちが見つけて強気ごうぎに吠えて、
『誰か来たそうな、どろぼうか。』
と、わしが小屋からヌッと出たら、
『そりゃこそ、親犬が提灯持って出て来たわ!』
と、逃げたからおかしかった。」

注釈

大塔宮
大塔宮護良親王(おおとうのみや もりながしんのう)
後醍醐天皇の皇子。父の倒幕運動に参戦し幕府軍と戦った武闘派親王。倒幕後、建武の新政により一時は征夷大将軍を任じられたが、足利尊氏との不仲により、最終的には父である後醍醐天皇に裏切られ、幽閉された鎌倉の東光寺で憤死する。
明治維新後、この地に鎌倉宮が造営され御祭神として祀られた。
永福寺(ようふくじ)
奥州合戦に勝利した頼朝が、戦死者の鎮魂のために建立した大寺院。
その贅をつくした荘厳さで歴代将軍たちのお気に入りの場所となる。『吾妻鏡』には、頼家や実朝をはじめ(北条に実権を握られた)将軍たちが蹴鞠、釣り、お花見、雪見、和歌会などを楽しむ様子がみえる。もしかしたら永福寺によって救われたのは、戦死者の魂よりも微妙な立場に置かれた将軍たちだったのかも。
応永十二年(1405)炎上。長い間ススキの名所となっていたが、最近史跡公園として整備された。
おかしかった
おかしくないです。この話は不快です。不快を承知でちょっとだけ補注すると、江戸では梅毒を患った男が犬と交わると治るという俗信がありました。これは、当時でも信じる者はなく、ただのたわごととされていたのですが、見世物小屋の人面犬の由来などで使われました。そのたわごとが、この話のベースになっています。