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瑞泉寺・天台山

瑞泉寺ずいせんじ天台山てんだいさん

大とうの
みやのつち
のらうは
二かい
どうむら
の山ぎわ
にあり二かい
どうはゑい
ふくじの
あといし
ずへばかり
のこれりずい
せんじはつちの
ろうのひがし
きたにあり
きんびやうさんと
いふほんぞん
しやくそんいち
らん
ていのあと
このさん上
ざぜんくつ
のうへに
ありてん
だいさんは
いちらん
ていのさき
の山を
いふかう
さんなり

狂歌

見と
れつゝ
人はうごかぬ
ざぜんくつ
にほんいちらん
ていのけしきに

たび人
「さてはこゝはむかし大
とうのみやさまの
つちのろうかこんな
所にはいつてござつ
て御きうくつであつ
たらうわしがわかい
ときふとしたことから
おこつてざしきらうへ
いれられた事が
あつたがそれでも
おやといふものはあり
がたいもので

あれが
ひとりで
さみしか
らうと
おんなを
ひとり
くれた
からほかにしよざいはなし
それからよるひるこをこし
らへることに
ばかり
かゝつて
ゐて
まいとし
うませた
ものだから
こが
ふへると
おやぢが
またあの
こがふ
びんなざしき
らうがせまからう
といつてろじの

すみに
こやを
かけてみな
そこへやら
れてみな
そこで
そのこども
をそだてるに
だん/\こどもが
大きくなつて
のちには
ろじへ

はひだ
して
そこら
ぢうへ
たれる
ものだから

ながやのやつらが
こゞとをいふにはいま
いましいこのごろはどぶ
いたのうへがにんげんの
くそだらけでふん
づけるにこまる
いつそのこと
あのこども
をすみだわらへ
でもいれてすてゝ
しまへとある
ばんにながやのやつがふたり
ほうかぶりしてこともすて
やうとそこらをまごついた
ものだからこどもがみつけて
がうぎにほへるからだれか
きたそうなどろぼう
ではないかとわしがこや
からぬつと出たらそりや
こそおやいぬがてう
ちんもつて出て
きた
はと
にげ

から
おかし
かつ