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扇个谷・源氏山

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扇ヶ谷おうぎがやつ源氏山げんじやま

東光山英勝寺は扇ヶ谷にあり、ここは太田道灌どうかんの旧跡でもある。このあたりでは随一の大寺で、諸堂の荘厳さは比べようもない。本尊は阿弥陀仏で運慶の作と伝わる。山門と惣門の額は宸筆。境内に沢庵たくあん和尚の石盤がある。
英勝寺の西側の山を源氏山と呼ぶ。阿仏尼あぶつにの塔は、英勝寺の北にある。

狂歌

げんじ山 ひかる日の出は すへひろの
あふぎがやつの かすむあけぼの

源氏山光る日の出は
末広の扇ヶ谷の霞む曙

旅人「あの飴を買っている年増は、なかなか、まんざらでない顔立ちだ。流し目でわしを見るのは、わしに気があるとみえる。ドレ、ちょっと聞いてみよう。
モシモシ、おかみさま、ちとおたずねしたい。おまえ、わたしに気がありますか? 惚れなさったか? どうでござります?」

「ナニ! わたしが惚れたか、気があるかとは、この野郎めはとんだことを言う。うぬのような不景気な野郎に、だれが惚れるか! たわごとぬかすと横っツラはり飛ばすぞ!!」

住職「今日は、大ぶん参詣のある日だわぇ。晩には、賽銭箱の勘定をいたそう。」

参詣「これはしまった、小銭がない。四文銭を賽銭に投げるのも、もったいない。借りにして、ただ拝んでおこう。貴公もそうなさい。」

注釈

太田道灌
室町時代後期の武将・歌人。扇谷上杉家の臣。築城・兵法に優れ、江戸城を築く。
英勝寺を創建した英勝院(徳川家康の側室・お勝の方)が太田道灌の子孫だったため、英勝寺は道灌邸跡に建立された。
沢庵和尚
沢庵宗彭(たくあん そうほう)。安土桃山~江戸前期の僧。
寛永十年(1633)に鎌倉を旅して、その荒廃ぶりを『鎌倉巡礼記』に記す。
英勝寺には沢庵和尚の銘を刻んだ石盤が今もある(らしいです)
阿仏尼
藤原為家の側室。歌人。
為家の没後、その相続をめぐって正妻と争い訴訟のために京から鎌倉へ下る。ちょうど蒙古襲来の混乱期だったため訴訟には時間がかかり、訴えは認められたが、その結果がわかる前に死去した。鎌倉への道中と滞在の様子が『十六夜日記』として残されている。
源氏山光る
「源氏山」と「光源氏」のダジャレ。