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比企谷妙本寺・田代観音

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比企谷妙本寺ひきがやつみょうほんじ田代観音たしろかんのん

大御堂おおみどうと呼ばれるところは頼朝公が初めて建立した勝長寿院しょうちょうじゅいんの跡地である。釈迦堂ヶ谷は大御堂の東にあり、北条泰時やすときが建立した釈迦堂の跡地のことをいう。文覚もんがくの屋敷跡は、この西の方にある。
このあたりにある屏風山びょうぶやまの手前を葛西かさいやつと呼ぶ。その南には、比企ひきやつ妙本寺があるが、日蓮宗池上本門寺と関係の深い寺である。
さらにその南には、坂東の札所、田代観音がある。

狂歌

かまくらひ どれと見へたる 酒のみの
あとひきがやつ ちゃ屋にうかるゝ

かま喰ら(鎌倉)いどれと見えたる酒飲みの
後引き(比企)が谷、茶屋に浮かれる。

旅人Ⓐ「どうだ、いっそのこと、これから裏側から船に乗って房州(千葉県)へ行ってみないか。」

旅人Ⓑ「きさまは独り身だからどこへ行ってもいいが、おいらは妻子のある身だ。女房が、おいらが上達して帰るのを楽しみに待っている。いつまでも、ひもじい思いをさせておくのは、かわいそうだ。」

旅人Ⓐ「これはおかしい。なに、おまえのかかしゅが、ひもじい思いなどしてるものか。今ごろは若い男をこさえて、ちっともひもじくないから気づかいしなさるな。」

旅人Ⓑ「そんなら、どこへ行ってもいいが、おいらが家のことで気になるのはそのことばかり。どうしてまた、おいらの女房がひもじくないことを知っているのだ。ガテンがいかぬ。」

旅人Ⓐ「それは、この前おまえが伊勢へ行ったとき、その留守中かみさまが色男をこさえて、ちっともひもじくなかったことを、わしはよく見て知ってるからだ。どうせ、今度もそんなところでしょう。」

旅人Ⓑ「そんなら、これで落ち着いた。サァサァ、これから房州でも、どこへでも出かけるのだ!」

旅人Ⓒ「旅は憂いもの辛いものと言うが、それは銭なしのことだ。こっちは銭ありだから、おもしろい、おもしろい。」

旅人Ⓓ「どうだ、俺の踊りは色気があるだろう。それだから、今まで大勢、女の見物があったのに、みんなどこかへ行ってしまった。」

注釈

北条泰時
鎌倉幕府三代執権。北条得宗家による執権政治の基礎を固めた。
釈迦堂
北条泰時が父義時の供養のために建てたとされるが、現在は地名に名を残すのみで、どこにあったのかわからなくなっている。
文覚
真言宗の僧。頼朝と同時期に伊豆に流されていて頼朝の挙兵を助成した。
池上本門寺と関係の深い寺
昭和までは、妙本寺と池上本門寺は一人の貫首が両山を統括する「両山一首」という方式をとっていた。
かま喰らい
大喰らいとのダジャレ?
どれ
だらしない酔っ払い。酔いどれ。