見せ掛ても、色のとれる御顔にてもましまさず。 昔海老蔵が景清の狂言にて御姿を似せしさへ、娑婆の者共はおぢおそるゝに、其御姿にてぶらつき給はゞ、うさんな者と召捕れ大家を詮議せらるゝ時、大家は釈尊、名主は大日と云たりとも證據に立者もなければ、無縁法界の無宿仲ヶ間へ入られて憂目を見給はんは案の内。それとも御得心なくば此宗帝王御前にて腹かつさばき申べし、御返答承らんと席を打て諫ける所に平等王しづ/\と
立出申されけるは、宗帝王の諫言は、比干が胸をさかれ、伍子胥が眼をぬかれ、木曽の忠太が義仲を諫て腹切たるにも、をさ/\おとるべうはあらねども、日頃御偏意地の大王、一旦仰出されたる事は変じなはぬ御気質、一杯の水を以車薪の火を救がたし。いか程に諫給ふとも、馬の耳に風、牛の角の蜂とやらで、さして御為にもなら山のこの手柏の二面に、男とも見へ女ともみめよき路考が姿故に、此冥府を捨給はんとは、世上の息子の了簡にして、地獄極楽の