画たる菊之丞が絵姿なり。若気とは云ながら師匠、親の目をかすめたる科、一々鉄札に記置たり。しかしながら今時の坊主、表むきは抹香くさい皃しながら遊女狂ひにうき身をやつし、鳧を明神、葱を神主などゝと名付、取喰ふから見れば、坊主の優童狂ひは、其罪軽に似たれば剣の山の責一等を許、彼が好所の釜いりに仕らんと窺ば、閻王以の外怒せ給ひ、いや/\彼が罪、軽に似て軽からず。都て娑婆にて男色といへる事有よし、我甚合点ゆかず。夫婦の道は陰陽自然
なれば其はづの事なれども、同じ男をおかすこと決て有べからず事なり。唐土にては久しき世より有て、書経には頑童を近る事なかれといましめ、周の穆王は慈童を愛してより菊座の名始り、弥子瑕、董賢、孟東野が類、また日本にては弘法大師渡天の砌、流砂川の川上にて文殊と契をこめしより、文殊は支利ぼさつの号を取、弘法は若衆の祖師と汚名を残し、熊谷の直実は無官の太夫敦盛を須广の浦にて引こかし、ハリハドツコイなされけるとうたはれ、