牛若は天狗にしめられ、増賀聖の業平、 後醍醐帝の阿新、信長の蘭丸、其名を高尾の文覚は六代御前にうつゝをぬかし、いらざる謀反をすゝめこみ、頼朝のとがめを受しより娑婆にて尻の来るといふ詞始れり。但馬の城の崎、 箱根の底倉へ湯治するもの多きは、皆此男色の有ゆゑなり。昔は坊主計がもて遊し故にや、痔といふ字は⽧冠に寺といふ字なり。しかるに近年は僧俗押なべて好こと甚以不埒の至りなり。今より娑婆世界にて男色
相止候様に急度申渡べしとの勅命、皆々はつとお請を申けるが、十王の中より転輪王進出て申けるは、勅定を返し奉るは恐多きに似たれども、思ふ事いはでやみなんも腹ふくるゝわざ也。仰の通り男色も亦害なきにあらず。しかはあれども其害女色に比すれば至て軽くして、 中々同日の談にあらず。譬ば、女色はその甘を蜜のごとく、男色は淡こと水のごとし。無味の味は佳境に入ずんば知がたし。是は畢竟大王の若衆御嫌なるがゆゑ、上戸の餅屋をやめさせ