お江戸のベストセラー

根南志具佐(ねなしぐさ)

原文(一之巻)

根南志具佐 一之巻04

▼開

己(おの)が勝手(かつて)は押(お)しかくし、お為(ため)ごかしに数通(すつう)の願書(ぐわんしよ)、地獄(ぢごく)の沙汰(さた)も銭(ぜに)次第(しだい)、油断(ゆだん)せぬ世(よ)の中(なか)とぞ知(し)られける。閻王(ゑんわう)もさま/\の政(まつりこと)を聞(きか)せられければ、少(すこし)の暇(いとま)もなきをりふし、獄卒(ごくそつ)ども地獄(ぢごく)の地(ぢ)の字(じ)の付(つき)たる高提灯(たかてうちん)を先(さき)に立(たて)、一人(ひとり)の罪人(ざいにん)を引立(ひきたて)来(きた)れり。閻王(ゑんわう)はるかに御覧(ごらん)あれば、年(とし)の頃(ころ)廿(はたち)計(ばかり)の僧(そう)の色白(いろしろ)く痩(やせ)たるに、手(て)かせ首(くび)かせを入(いれ)、腰(こし)のまはりに何(なに)やらんふくさに包(つゝみ)たるものをくゝり付(つけ)てぞ有(あり)ける。此者(このもの)いかなる罪(つみ)にて有(ある)と尋(たづね)給へば、かたはらより倶生神(くしやうじん)罷(まかり)出(いで)て申(まをし)けるは、此坊主(このばうず)は

南瞻部洲(なんぜんぶしう)大日本国(だいにつぽんこく)江戸(えど)の所化(しよけ)なるが、堺町(さかひてう)の若女形(わかをんながた)、瀬川(せがは)菊之丞(きくのぜう)といつる若衆(わかしゆ)の色(いろ)に染(そめ)られて、師匠(しせう)の身代(しんだい)からくれない、錦(にしき)の戸帳(とちやう)は道具市(だうぐいち)にひるがへり、行基(ぎやうぎ)の作(さく)の弥陀如来(みだによらい)は質屋(しちや)の蔵(くら)へ御来迎(ごらいかう)。若衆(わかしゆ)の恋(こひ)のしすごしに、尻(しり)のつまらぬ尻(しり)がわれて、座敷牢(ざしきらう)に押込(おしこめ)られ、したふかいなく己(おの)が身(み)を宇津(うつ)の山部(やまべ)の現(うつゝ)にも逢(あは)れぬ事(こと)を苦(く)に病(やん)で、むなしくあの世(よ)を去(さり)けるが、だんまつまの苦(く)にも忘得(わすれえ)ぬは路考(ろかう)が俤(おもかげ)なりとて此所(このところ)までも身(み)をはなさずアノ腰(こし)に付(つけ)たるは鳥居(とりゐ)清信(きよのぶ)が