日本人を見せものにし、穿胸国では全き人をかたはと心得、手長足長のふつり合なること、皆是土地の風俗なり。天竺の右肩合掌、日本の小笠原、其仕うちは替れども礼といへば皆礼なり。只聖人のすみがねにて、普請は家内の人数によつて、長くも短くも大にも小にも、変に応じて作るべし。経済の道は風俗を正し、足[ら]ざるを補しげきをはぶく事、時に随ひ変に応ず。柱に膠し、酌子を以て定木とはしがたし。然るに近世の先生達、畑で水練を習ふ様な経済の書を作[り]て俗人を驚[かす]ことかたはら痛き事なり。
其位に存[ら]ざれば其政をはからずといふ聖人の教を忘て聖人の道を説出すは、相撲取のふんどしを忘[れ]て土俵入をするがごとし。其外浮世の口過学者、管の孔から天をのぞき、火吹竹で釣鐘を鋳やうな偏見を説出し、我身も薯蕷が鰻になるやうに、尻の方から二、三寸程も出来合の聖人に成[り]かゝりたれば、麒麟、鳳凰に星入のひけ物でも出そふなものと自負する学者も世に多し。聖人の教でさへ、其道にとらかされし屁ぴり儒者の手に渡れば、人をまよはす事多し。まして其外の事において