自序
夫、馬鹿の名目一ならず。阿房あり、雲つくあり、部羅坊あり、たはけあり、また安本丹の親玉あり。但同じ詞にて兄ィといへば少しやさしく、利口にないといへば人めつたに腹を立[て]ねど、つまる処は引[つ]くるめて、たはけは
同じたはけなり。爰に志道軒といへる大たはけあり。浮世の人を馬鹿にするがの不二よりも其名高[き]は誠にたはけの親玉となんいふべし。しかはあれども、また其たはけに顎を落浅草の地内から腹をかゝへて出る雲つくども、日に幾人といふ数を知[ら]ず。世
にはたはけも多きものなり。我また産[れ]た時ぎやつと言[ふ]からのたはけなれば、今彼が伝、五巻を著[す]。安本丹にあらずして又何ぞや。或は是を書し是を画するの雲つくあれば、梓にちりばめんといふ部羅坊あり。若し此書を取[つ]てしかつべらしく読[む]
ことのあらば、それこそ真のたはけにあらずや。紙鳶堂風来山人、一名天竺浪人、浮世三分五厘店の寓居に書す。
思ふ事有もうれしき我がみさへ
こゝろのこまの世につながれて
八十四 志道軒