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風流志道軒伝ふうりゅうしどうけんでん

原文(巻之一)

風流志道軒伝 巻之一 09

と地蔵ぼさつそでにすがりて獄卒ごくそつてつぼうをうらむとかや。将棋は軍のかけ引きなりといへども、韓信かんしん孔明こうめい将棋をさしたるうわさも聞[こ]へず。今こゝろみに将棋の上手に採配とらせて軍させば、敵の龍馬に踏殺ふみころされ、桂馬の高飛、歩兵の餌食となるべし。香を聞[く]ものは、鼻を以て天下を治[むる]がごときかほをしかめ、沈外ぢんぐわいそく脈の極秘ごくひを極め、聞香もんかう悉能知しつのうちと高ぶるとも、たかが無用の[もてあそび]、六国なんどと文盲第一の名目を立[つ]ること片腹いたきことなり。楊弓は百射て五百あたりたりともねづみる足[し]にもならず。まりが上手なりとて、腹のへる

と金出して色よき装束しやうそく着るより外にのうなし。尺八の名人が女郎の蒔絵まきゑ[き]たるがごときやさしき音を吹出しても、敵討かたきうちに出る用意より外何の役にも立[た]ざれば、歯のぬけるだけのそんなり。つゞみのヤツハア、太皷のテレツクスツテン/\、とんと上手に成[り]おふせても耳へ入[つ]てぬける間の楽[しみ]にて、名の不朽ふきうに伝[ふ]べきにあらず。其外俗の芸と云[ふ]は皆小児のたはふれなり。只人の学[ぶ]べきは学問と詩歌と書画の外に出[で]ず。是さへ教あしき時は、迂儒うじゆ学究がくきうとて上下かみしもを着て井戸をさらへ、火打箱で甘藷さつまいもを焼[き]、唐の反古にしばられて我身が