に朽果んは本意ならず。願[はく]ば先生、我に業とすべき道を教[へ]よ。其時、仙人羽扇をあげて曰[く]、汝能我言を信ず。今、我身の上と汝が生涯を示さん。我は其昔、元暦年中の生れにて、源平の戦なんどは稚心の耳に残、漸[く]天下治て鎌倉将軍、政を専にし諸人太平の化をたのしむ。我は片田舎に長けるが、つく/\思ひめぐらすに、高祖は三尺の剣を提、漢朝四百年の基をひらき、相将豈種あらんやとは楚の陳渉が詞なり。今諸国の大小名を見るに、頼朝、義経の騏尾について、匹夫よりして家を起すもの少か
らず。我は治世に育たれば、剣戟を起さんは天にさかふの罪あり。然[ら]ば芸を以て家を起さん事を思ふ。しかはあれども世の俗人の芸と称する茶の湯は、古茶碗、竹べらなんどに千金をつひやして、四畳半の気づまりに、手づからにじり込の草履をつかむ事、大丈夫の業にあらず。立花は一瓶の中に千草万木の趣をこむるといへども、釘にて打[ち]付[け]、はりがねにてため直す事、自然の風景にあらず。碁を打[つ]ものは、ならべて崩、くづして並、其智三百六十目の外に出[で]ず。此人死[し]ては西の河原へ行[き]て、一目打[つ]ては父恋し、二目打[つ]ては母恋し