我自由にならぬ。具足の虫干見るごとく四角八面に喰[ひ]しばつても、ない知恵は出[で]ざれば却[つ]て世間なみの者にもおとれり。是を名付[け]て腐儒といひ、また屁ぴり儒者ともいふ。されば味噌のみそくさきと学者の学者くさきは、さん/\のものなりとて、又是を見破[り]たる先生たち宋儒の頭巾気ととなへ出せし卓見も、角を直さんとて牛を殺。其末流の木の葉儒者には、猪牙に乗[り]てひちりきを吹、三絃に唐音を乗、甚しきに至[り]ては天下を運す掌の内にお花とやらをめぐらする言語同断の学者も有よし。
是皆中庸を知[ら]ざると鼻毛をぬかざるより起りたるたはけなり。唐は唐、日本は日本、昔は昔、今は今なり。三代といへども礼学は同じからず。立[つ]て供するが礼なりとて、今貴人の前で立[た]れもせず。聖人の政なりとて井田の法を行[は]ば、百姓どもには安本丹の親玉にせられなん。しかれども不学無術にては、もとより行[ふ]べきにあらず。只墨かねを能[く]覚へて手の利たる大工と、鍛のよひ刀を能[く]研たるにあらずんば、大功はなしがたし。我もまた、なまくらならねば鎌倉に至[り]て人間の益をなさんと裏店の淵に