ころは、神儒仏のざく/\汁、老荘の芥子ぬた、氷の吸物、稲光の油あげ、跡も形もないて居る子も笑[ひ]出し、草履つかむやつこらさまでが、何やら坊といへば志道軒と知る程の古今無双の坊主なり。されば江戸に二人の名物あり、市川海老蔵と此志道軒親父なり。然るに柏莚は世を去[り]て、今浅草の志道軒、江戸に一人の名物といふべし。故に一枚絵、今戸焼を始[め]として、祭のあんど、髪結床の障子にも此親父が形を画、すばしりの頭、松茸を見ても志道軒を思ひ出してをかしくなるは、誠
に目出度[き]親父なり。此人何が故にかゝる事をなしけると、其源を尋[ぬる]に元来此志道軒が親は、さる屋敷の用人を勤[め]て其志浅からぬ深井甚五左衛門といへる筋目正しき人にてぞ有ける。此甚五左衛門、四十に及[び]て男子なき事を深く憂、夫婦一所に浅草の観音へ三七日の通夜籠をなんして祈けるに、満ずる夜の暁、南の方より金色の松茸、臍の中へ飛[び]入[る]とみて懐胎し男子出生有しは、即[ち]此志道軒なり。夫婦は悦[び]のあまり浅草観音のもうし子なればとて、稚名を浅之進と号、蝶よ花よといつ