どいにつどい給ひて、様々評定ありけるが、昔蒙古より責来し時の先例に任すべしとて、雨の神、風の神に命じて急ぎちくらが沖に待請[け]て唐の船を吹[き]くだけよと有ければ、風の神申されけるは、私共一族残らずちくらが沖へ出張をなさば、其跡にては日本に風をひくもの一人もなくんば、医者ども渡世に難儀たるべく思ほゆれば、少々は跡に残[し]なんと伺[ひ]ければ、諸神以ての外、怒せ給ひ、若不二山をはりぬかれなば日本末代の恥辱なり、何ぞや医者の難儀ぐらいに替[へ]べきや。其上近年生[ま]れつきたる医者は少く、家業
にうときのら者ども、青菜賣は浅漬宅庵となり、肴屋は稲田安康、餅屋は佐藤養閑と名乗[り]、あめ屋は雨井堯仙と改名し、気のしれぬ麻布木庵が類なれば、はやらぬ時はほうろくはもとの土とぞ成[り]にけりにて、餓死すべきには至らざれば、瑣細の事は打[ち]捨て、唐船日本におもむかば、風の神勢力を尽[く]し、霰の神、雹の神も、とも/\に力をそへ、戸板にごろつく豆のごとく暫時の間に吹[き]くだくべしと、はげしき仰[せ]蒙[り]て、雨風霰雹の神は雲を起して降て行[く]。唐人どもはかゝる事とはいざ白波を凌つゝ、順