お江戸のベストセラー

風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)

原文(巻之五)

風流志道軒伝 巻之五 10

▼開

にもるゝ事なし。人のみにはかぎらず蜜蜂(みつばち)の飛[ぶ]に君臣あり、烏(からす)の反哺(はんぽ)、鳩(はと)の三枝(さんし)に父子の礼備(そなは)れり。鶏(にはとり)羽をさげて雌(め)を愛し、猫の不遠慮にさかるも夫婦の道なり。鼠は十露盤(そろばん)に乗る兄弟あり、犬の尾をふつて集り、鰮(いわし)、すばしりの海にかたまるも皆朋友(ほうゆう)の道なり。さればこそ天地の間を引[つ]くるめて聖人(せいじん)の教(をしへ)に上こすものなし。夫故に伊藤先生、論語(ろんご)は宇宙(うちう)第一の書といふ事、尤[も]至極のことにあらずや。其論語の中にさへまた時の宜([よろしき])に随ふべき事あり。沽酒(かふさけ)、市脯(かふほじし)くらはずとはいへども

越(ゑち)後の塩引(しほひき)、周防(すほう)の鯖(さば)、串石決明(くしあはび)、海参(いりこ)の類、学者もどぶへ捨[て]た事なく、祭(まつり)の醴(あまざけ)より外に、内で酒を作[り]たる先生もなし。是唐には池田(いけだ)、伊丹(いたみ)といふ名物の酒屋もなく、又海に遠き国故、塩引類の旨ひ事をしらず。狗(いぬ)猪(ぶた)を食ふ故に其教もまた異(こと)なり。薑(はじかみ)を捨(すて)ずして食ふとはいへども鱠(なます)のけんは食[は]ぬと云[ふ]が、又日本の礼なり。井戸で育(そだつ)た蛙(かいる)学者がめつたに唐贔屓(ひいき)に成[り]て、我生(うま)れた日本を東夷(とうゐ)と称し、天照太神は呉(ご)の太伯(たいはく)に違(ちがひ)ないと附会(ふくわい)の説(せつ)をいひちらし、文武の道を