にもるゝ事なし。人のみにはかぎらず蜜蜂の飛[ぶ]に君臣あり、烏の反哺、鳩の三枝に父子の礼備れり。鶏羽をさげて雌を愛し、猫の不遠慮にさかるも夫婦の道なり。鼠は十露盤に乗る兄弟あり、犬の尾をふつて集り、鰮、すばしりの海にかたまるも皆朋友の道なり。さればこそ天地の間を引[つ]くるめて聖人の教に上こすものなし。夫故に伊藤先生、論語は宇宙第一の書といふ事、尤[も]至極のことにあらずや。其論語の中にさへまた時の宜に随ふべき事あり。沽酒、市脯くらはずとはいへども
越後の塩引、周防の鯖、串石決明、海参の類、学者もどぶへ捨[て]た事なく、祭の醴より外に、内で酒を作[り]たる先生もなし。是唐には池田、伊丹といふ名物の酒屋もなく、又海に遠き国故、塩引類の旨ひ事をしらず。狗猪を食ふ故に其教もまた異なり。薑を捨ずして食ふとはいへども鱠のけんは食[は]ぬと云[ふ]が、又日本の礼なり。井戸で育た蛙学者がめつたに唐贔屓に成[り]て、我生れた日本を東夷と称し、天照太神は呉の太伯に違ないと附会の説をいひちらし、文武の道を