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風流志道軒伝ふうりゅうしどうけんでん

原文(巻之四)

風流志道軒伝 巻之四 08

白昼はくちうに入[れ]ども、人是を知る者なし。それより足にまかせて数多の宮殿残る方なく見めぐりけるが、後宮に至[り]て打[ち]ながむれば、三千人の官女紅粉をいろどり、雲のびんづら、かすみまゆ、玉をつらねし美人の粧。昔、久米の仙人は物洗ふ女の木綿もめん湯具ゆぐのぴらつきてはぎの白く見へしにさへ、通を失ひしためしもあり。かく数多ある美人の中に至りなば、釈迦しやか黄金わうごんよだれをながし、達磨の目玉も絹糸きぬいとのごとくなるべし。浅之進も心乱[れ]て城外に出[づ]る事を知らず。後宮こうきうすみにかくれて夜な/\官女のねやへぞ忍びけるが、いつとなく

うはさ[こ]へければ、いかさま変化へんげの所為ならんと宰相さいしやう以下打集うちあつまりて評定あり。四方八方燈をてらし寓直とのゐの武士厳重げんぢうなれども何事も目にさへぎらず、然れどもかゝる事などは猶やまざりければ、扨は魑魅ちみ魍魎もうりやうのしはざか、又は日本にてはやると聞[く]姫路ひめぢにおさかべ赤手のごひ、たぬきのきん玉八畳敷、きつねが三疋尾が七ッの類ならば、打[ち]ものわざにてかなふまじ、貴僧高僧に命じて御いのりあるべしなんど評議一決せざる処に、宰相申されけるは、都て魑魅ちみ鬼神きじんの類ならば足跡なきはづなるに、御庭のところ/\人の足跡