川なれば、はかなくも押[し]流され、浮[き]つ沈[み]つ苦て、既に命も危かりしが、其時また羽扇を取[り]て、さかまく水をかきわれば水は八方へ退[き]て、さながら平地を行[く]がごとく向[う]の岸にぞ着[き]たりけり。去[る]にても彼渡りし人は、いかゞなりつらんと打見れば、此国は長脚国とて体は日本人程なれども、足の長さ一丈四、五尺なれば、此川水には流ざるも断なり。扨また彼足長どもは、川中にて浅之進が羽扇の妙ある事を見て、何とぞして奪取[ら]んと、打寄[り]て評定をなんしけるが、中々卒尓には取[り]がたしとて、其隣国の長臂国といへるは、手の長さ一丈四、五尺にて
常に盗を事とすれば、此者どもをかたらひて羽扇を奪[ひ]取[ら]んぞ計らひける。此事浅之進は夢にもしらず川渡[り]の難儀に労れければ、道の辺の茶店に立寄[り]座敷を借[り]て、屏風引立[て]前後も覚えず臥居たりしが、何かは知らず物音にふと目覚して打見れば、上なる引窓より其長さ丈にあまれる細き腕を指[し]入[れ]て、羽扇をつかんで引上[げ]る。スハ曲者ござんなれ、扨は鳥羽絵の茨木童子、中々羽扇は渡辺の綱が昔もまつかうと、懐剣をぬきはなち、腕を丁ど切落せば、それより四方さわがしく責鼓鯨波、天地も崩るゝばかりなれば、スハヤ