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風流志道軒伝ふうりゅうしどうけんでん

原文(巻之四)

風流志道軒伝 巻之四 02

川なれば、はかなくも押[し]流され、浮[き]つ沈[み]くるしみて、既に命も危かりしが、其時また羽扇を取[り]て、さかまく水をかきわれば水は八方へ退[き]て、さながら平地を行[く]がごとく向[う]きしにぞ着[き]たりけり。去[る]にても彼渡りし人は、いかゞなりつらんと打見れば、此国は長脚ちやくきやく国とてからだは日本人程なれども、足の長さ一丈四、五尺なれば、此川水にはながれざるも[ことわり]なり。扨また彼足長どもは、川中にて浅之進が羽扇の妙ある事を見て、何とぞしてうばひ[ら]んと、打寄[り]て評定をなんしけるが、中々卒尓そつじには取[り]がたしとて、其隣国の長臂ちやうひ国といへるは、手の長さ一丈四、五尺にて

常に盗を事とすれば、此者どもをかたらひて羽扇を奪[ひ][ら]んぞ計らひける。此事浅之進はゆめにもしらず川渡[り]の難儀につかれければ、道の辺の茶店に立寄[り]座敷を借[り]て、屏風引立[て]前後も覚えずふし居たりしが、何かは知らず物音にふと目覚して打見れば、上なる引窓ひきまどより其長さ丈にあまれる細きうでを指[し][れ]て、羽扇をつかんで引上[げ]る。スハくせ者ござんなれ、扨は鳥羽絵とばゑ茨木いばらき童子どうじ、中々羽扇は渡辺の綱が昔もまつかうと、懐剣くわいけんをぬきはなち、うでを丁ど切落せば、それより四方さわがしく責鼓せめつゞみ鯨波ときのこゑ、天地もくづるゝばかりなれば、スハヤ