惣じてむかしは人間も質朴にありし故、毒といふものは喰ぬ事と心得、河豚を恐るゝ事蛇蝎のごとくなりしが、次第に人の心放蕩になりゆき、 毒と知て是を食す人に、君たる方是を憂ひ給ひて、河豚を喰ふて死たる者は其家断絶とまで律をたてゝ、上仁を好ども下義を好まず。ふぐや/\と大道を売歩行、煮売店にも公に出置事、上をかろんずるの甚しきといひ、父母より受得たる身体髪膚を口腹の為に亡さん事、五刑の類三千にして罪不孝より大なるはなしと云ふ、聖人の教に
そむくこと天命のがるゝ所なし。剰河豚なき時は、外の魚をふぐもどきと名付て喰ふ事、歎かはしき事なり。古人の詞にも、牢を画て其内に坐せずとは、仮にもけがれたる名は嫌ふことなり。非礼見ることなかれ、非礼聞ことなかれと申ことを知らざる世上の文盲なるものは是非もなし。小文才有男、或は人に毒だちなどを教る医者なんどに好んで食ふものあり。是等は一向食をむさぼる犬猫のごとし。かく乱たる風俗なれば、菊之丞も河豚は好なるべけれども、天の時を以て申さば、今水無月