お江戸のベストセラー

根南志具佐(ねなしぐさ)

原文(二之巻)

根南志具佐 二之巻11

▼開

本(ほん)に殺(ころさ)れても見(み)るやと理屈(りくつ)いふべけれども、 是又(これまた)左(さ)ふあらず。悪(あし)き事(こと)は似(に)せる事(こと)易(やす)し、譬(たとへ)芝居(しばゐ)でなくとも悪人(あくにん)になるは、何(なん)のぞうさもなき事(こと)なり。只(たゞ)、善(ぜん)に移(うつ)る事(こと)は勤(つとめ)ずんばなりがたし。 殊(こと)に男(おとこ)にて女(おんな)と見(み)せる事(こと)は、至(いたつ)て心(こゝろ)を用(もちひ)ずんば上手(じやうづ)には成(なり)がたし。小伝次(こでんじ)がたしなみ、誠(まこと)に感(かん)ずべき事(こと)なんめり。近年(きんねん)は、若女形(わかおんながた)にて舞台(ぶたい)へ出(いで)たる処(ところ)はやさしく見(み)ゆれども、常(つね)の身持(みもち)は、けふもあさつても鮫鞘(さめざや)の大脇指(おほわきざし)をぶつこみ、うでまくりして茶碗(ちやわん)で清左(せいざ)をも

ぢりちらし、無上(むじやう)にたれをかきさがしまはした跡(あと)でのはりこみ悪(あく)たい、舞台(ぶたい)で見(み)た時(とき)の仕打(しうち)とは、お月様(つきさま)とひし餅(もち)、下駄(げた)と人魂(ひとだま)程(ほど)違(ちが)ふたるよし、 仮(たとへ)一応(いちおう)評判(へうばん)よくとも、名人(めいじん)の名(な)を得(う)る事(こと)には至(いた)りがたかるべし。かゝる中(なか)にも蓮葉(はしすば)の濁(にごり)にしまぬ玉(たま)の姿(すがた)、瀬川(せがは)菊之丞(きくのぜう)となんいへる若(わか)女形(おんながた)あり。 此人(このひと)、先(せん)菊之丞(きくのぜう)が実生(みしやう)にはあらかねの土(つち)の中(なか)より掘出(ほりだ)したる分根(わけね)なるが、二葉(ふたば)の時(とき)よりも生立(おひたち)野菊(のぎく)の類(るゐ)にあらずと、評判(へうばん)は高作(たかつくり)、器量(きりやう)は外(ほか)に並(ならび)夏菊(なつぎく)と