りの権大僧都の官にのぼる様に心得て、気と給金計が高く成て、修行すべき芸は学ず、兎角女に思ひ付るゝを第一とし、我より目上なるをも非に見なし、味噌を上ればよいことゝ心得て、 作者の詞をも用ず、縦一花の思ひ付にて評判を取といへども、其おとろへの早きこと鉄砲の玉に帆を掛たるがごとし。是皆、心を用る事疎が故なり。今は昔、沢村小伝次といへる若女形、 河内の藤井寺の開帳へ参りて小山といふ処に宿しけるが、小伝次曰、一日竹輿にゆられて血
暈がおこりしといへるを、連にて有ける竹中半三郎、小松才三郎、尾上源太郎など笑ていはく、いかに女形なればとて男に血暈とはと腹をかゝへけるを、其座に西鶴も居合けるが、大に感じ曰、稚より形も詞も女のごとくならんと日頃にたしなみしより、仮初の頭痛も血暈と覚えしは、扨/\しほらしき事なりといへるとなり。 実に其業を専一に勤るものは、皆々かくのごとくありたきものなり。然ば敵役は常に人をいじめ、或は芝居でするごとき悪工をして日に二三度も