のならぬ浮世なれば、兎角得失は、みな其用る所にありと知るべし。芝居も勧善懲悪の心にて見る時は教ともなり、戒ともなれども、是に溺る時は其害少からず。或はまた、人の妻女の櫛笄に役者の紋を付て頭にいたゞくを、涎たらして見て居る亭主の鼻毛三千丈、たはけによつてかくのごとく長と李白に見せたら詩にも作そふな親玉も世に多し。扨また、役者も昔は名人多かりしが、寄年の引道具には拍子木の相図もいらず、そろ/\あの世へせり出し道
具、蓮の台へ早替りしてより、堺町、ふきや町、木挽町、三方の芝居に飾海老なく、狂言の骨もぬけたか屋の高助を始として、名人の名をむなしく印の石にとゞめしより、又名人と呼るゝ人の希なるは何ごとぞや。されば、諸芸押なべて昔の人よりおとれるは、近世人の心懦弱にして、小利口にして、大馬鹿なる故なり。昔の役者は師に随て随分其業を伝へ、昼夜心を用たるゆゑ、名を揚しもの多し。近年の役者は、師匠と云ふも名字を貰ふ計にて、山上参