度といへるを、傍の人聞て、何故松魚になり度やといへば、松魚は、うまきものなればなりといへるに同じ。松魚も喰ふてこそ味あるべけれ、我松魚になりて人に喰れては、我はうまくはあるまじ。狂言も役者にさせて見るはよし、自是をするとも面白はあるまじきことなれども、楽はまた其中に有馬筆。人形まわしや狂言にて日を暮す貴人の心の楽とする所のひれつなる事は、 我心に問て知べし。曽子は飴を見て老を養んことを思ひ、盗跖は是を見て錠をあけん
ことを思ふ。下戸は萩を見てぼた餅を思ひ、歯なしは浅漬を見て山葵卸を思ふこと、皆人/\の好所へ情の移が故なり。好こそ物の上手なりとて、親好は孝行の名を上、主好は忠臣の名を残す。是等の好は積ことをいとはず。其余の事は、 好なりとて心をゆるす時は害をなすこと少からず。食は躰を養ふ物にして、過る時は命をそこなひ、酒は愁をはらふといへども、内損の愁は、のまぬ先の愁にまされり。火事がこわひとて一日も火を焚ずしては、逗留