お江戸のベストセラー

三升増鱗祖みますますうろこのはじめ

9

三升増鱗祖 09

お抱え医者のくだす流庵の提案で、姫君のご病気をなぐさめるため、さっそく山内屋孫兵衛を呼び寄せた。孫兵衛は、唐紙からかみ表紙をはじめ、赤本、青本、黒表紙、一枚りの漆絵うるしえなど、新板古板の数々を取り集めて持参した。

すると、腰元せきやが孫兵衛を物陰へ誘ってヒソヒソと話しはじめる。

せきや「じつは、姫君のご病気は、このあいだ鶴岡八幡宮へご参詣のときに、もぐさ売りの若衆を見初めなさっての恋わずらい。この若衆は、きっと当国の者。どうか探し出して、姫君の恋を取り持ってさし上げよ。」

孫兵衛「それは、たいへんお安い御用。その若衆なら、私の隣りのもぐさ屋のせがれでござります。さいわい、姫君がお灸の治療をなさると聞きましたが、そのもぐさの御用を利用して若衆がお屋敷に出入りできるよう算段を立てましょう。
そいつは、ほんと新車しんしゃに生き写し。この絵よりも、もちっと似ていやすよ。」

注釈

唐紙表紙をはじめ~
江戸の絵草紙の種類。時代やジャンルによって表紙や体裁が異なる。
唐紙表紙 絵入りの浄瑠璃台本。江戸の絵草紙の母体となる。
赤本 昔話などの子ども向け娯楽本。
青本 軍記物、敵討ち物から滑稽、色恋、遊郭物まで幅広い。
黒表紙 表紙が黒いだけで内容は青本とかぶる。

なお、この本の作者恋川春町が「青本」として安永四年(1775)に出版した『金々先生栄花夢』が、大人向けの絵草紙「黄表紙」の始まりとされる。
新車
二代目市川門之助。安永期の若手四天王の一人とされる人気役者。