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三升増鱗祖みますますうろこのはじめ

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三升増鱗祖 03

頼朝公は父や兄たちともはぐれ、石山寺から伊吹山へと迷い込み、運もつき果て山中を一人さまよっていた。
それを道意が見つけて、もしや頼朝公ではと思ってたずねると──まさしくその通り。道意は大いに喜んで、頼朝公をかくまって食事の世話をした。

しかし喜びもつかの間、平家の侍、弥平兵衛やへいびょうえ宗清むねきよが後を追っかけて来て、頼朝公を捕らえてしまう。

道意「なにとぞ、お命が助かるようにお取りなし願います。頼りなき身の上、どこまでもつき従って見届けてあげたい。」

宗清「それがしとて、殺すには忍びない。池禅尼いけのぜんにへ願い出れば、命ばかりは助かるかも知れん。おぬし、それほど想っているなら、それがしと共に都へ行き、もし池どののお情けで流罪にでもなったら、それにつき従って行く末を見届けよ。武士でもない町人のことなら清盛公も見逃してくれるだろう。」

頼朝公は、池禅尼いけのぜんにの歎願で伊豆国への配流と決まった。道意は、これはいよいよ池洲稲荷のお告げどおりだと大いに喜び、六波羅ろくはらへ頼朝公のお供を願い出て、支度を整え伊豆へと旅立つ。

住み慣れし都の富士を後に見て
雪の斑気むらき四方よも白く
夕日照りそう四方の赤
これを合わせて八景や
勢田の長橋、勢田うなぎ
ぬらりくらりと行くほどに
なごり近江の源五郎
ふな路を渡り山を越え
少しはうさを忘れなさる

道意「今夜のお泊りでは、飯盛めしもりを呼びしましょう。君にもちょっとお楽しみ。しかし、歩き通しで足の鼻緒ずれにはお気をつけなされ。」

注釈

石山寺
滋賀県大津市にある寺。
平治の乱で逃走した悪源太義平(頼朝の兄)をかくまったという言い伝えがあり、頼朝が寄進したとされる多宝塔(国宝)が残る。紫式部が『源氏物語』の着想を得た寺としても有名。
弥平兵衛宗清
平宗清。平氏の武将。
平治の乱で逃走した頼朝(13歳)を捕らえたが、池禅尼を通じて助命を求めたとされる。
池禅尼
平清盛の父、平忠盛の正室。清盛の継母。
捕らえられた頼朝の助命を清盛に嘆願(半ば強制)し、流罪にさせた。
六波羅
京の伊勢平氏の拠点。清盛が住んでいた。
都の富士
比叡山。
この後の句は、比叡山を後にして旅立った道行きを近江八景や名産品などを盛り込んだ言葉あそびで表す。
まだら雪の白と夕日の赤の対比。
四方+四方で八景。「四方のあか」は江戸の酒店四方(よも)の銘酒「滝水」のこと。
勢田の長橋は近江八景のひとつ。
勢田うなぎと源五郎鮒は琵琶湖の名物。さらに、鮒と船路をかける。
なお、頼朝のしっぽのように見えるフサフサは、尻鞘という太刀を包む毛皮製の袋。
飯盛
飯盛女。宿屋で旅人の給仕、雑用をし、売色もする。