お江戸のベストセラー

三升増鱗祖みますますうろこのはじめ

5

三升増鱗祖 05

ある夜の明け方に、池洲稲荷が山内屋孫兵衛の枕元に立ちなさった。
「隣りのもぐさ屋のせがれは、じつは義朝の三男、頼朝である。もぐさ屋と協力して彼を世に出せば、天下統一ののち汝の家も富み栄えることまちがいなし!」
そう告げて、池洲稲荷は障子の穴から飛び去った。

夜回り「ああ、寝忘れた。もう何時だかわからん。」

当時、伊豆の国では北条時政が富み栄えていた。
山内屋孫兵衛は、奥方の御用でたびたび北条のお屋敷へ商いに出向いたが、そのころはまだ絵草紙も珍しかったので、女中や部屋方まで、みんな夢中になって盛り上がった。

腰元せきや「これ、本屋どん。こんど絵のいい観音経を持って来ておくれ。」
孫兵衛「せきや様、これをご覧なされませ。市村座の狂言本でござります。」

女中「ほんに、ばからしいの!」
女中「これをご覧……けしからんの♡」

注釈

北条時政
伊豆国の豪族。流人時代の頼朝と親交があり、頼朝の挙兵に最初から付き従った。鎌倉幕府初期の有力御家人。
市村座の狂言本
市村座は、江戸三座の芝居小屋のひとつ。
狂言本は、狂言や歌舞伎などのあらすじや役者の評判などを絵入りで紹介したパンフレット。