お江戸のベストセラー

三升増鱗祖みますますうろこのはじめ

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三升増鱗祖 04

こうして道意は頼朝公と伊豆の国に着き、池洲稲荷のかたわらに住んで手馴れたもぐさ売りを始めた。当時は、まだ東国には切りもぐさという物がなかったので、みなに重宝され、とりわけ大名小名からの注文も多く商いは繁盛した。
道意は、かわらけ二つをはり合わせてもぐさの百挺入りを作る。これが東国の切りもぐさの始めという。

そのころは頼朝公は若い盛りで美しかったので、まるで、今は亡き歌舞伎役者の盛府せいふのようだと、みながウワサしている。それで道意は思いつき、もぐさの意匠を市松染めにした。

道意「がんばってご精を出されませ。手間賃を払って外でをさせるより、内でいたせば大ぶん安く上がります。それが済んだら、小児用も仕込まねばなりません。」

もぐさ屋の隣りには、山内屋やまうちや孫兵衛まごべえという者がいた。これもいわれある者だが、たびたびの兵乱で落ちぶれ伊豆の国へ引っこんでいた。
しかし、もともと才ある者なので、古今のことを本にして出版したり、むかしの名将・勇士の姿を紙にって彩色して売り、商いは繁盛していた。この絵は漆絵うるしえといって、たいそう流行って飛ぶように売れた。

孫兵衛「この話の展開には、どっとオチがつきそうなものだが…。隣りはずいぶん商いがあるようだ、負けてはいられぬ。」

<暖簾>
回陽堂
山内屋

注釈

切りもぐさ
もぐさを和紙で巻き一回分ずつに切り分けた商品。温度や時間に応じて、大中小、小児などの種類があった。
かわらけ
素焼きの器。二枚貼り合わせてパッケージにした。
盛府
初代佐野川市松(さのがわ いちまつ)。美男の若衆方、女形。
その衣装の格子柄が「市松模様」として流行し、ついには日本を代表するイメージとしてオリンピックのエンブレムとなる。
もぐさの意匠を市松染め
山東京伝の小紋柄のパロディ本『小紋雅話』の中に三升屋の意匠がある。
→『小紋雅話』山東京伝
縒り
切りもぐさ作りの工程のひとつ。もぐさを縒って細い棒状にする。絵の中で頼朝がやらされている。
漆絵(うるしえ)
墨一色で摺られた版画に絵の具で手彩色した絵。江戸中期に完成された浮世絵(多色摺り版画)の前段階にあたる。