こうして道意は頼朝公と伊豆の国に着き、池洲稲荷のかたわらに住んで手馴れたもぐさ売りを始めた。当時は、まだ東国には切りもぐさという物がなかったので、みなに重宝され、とりわけ大名小名からの注文も多く商いは繁盛した。
道意は、かわらけ二つをはり合わせてもぐさの百挺入りを作る。これが東国の切りもぐさの始めという。
そのころは頼朝公は若い盛りで美しかったので、まるで、今は亡き歌舞伎役者の盛府のようだと、みながウワサしている。それで道意は思いつき、もぐさの意匠を市松染めにした。
道意「がんばってご精を出されませ。手間賃を払って外で縒りをさせるより、内でいたせば大ぶん安く上がります。それが済んだら、小児用も仕込まねばなりません。」
もぐさ屋の隣りには、山内屋孫兵衛という者がいた。これもいわれある者だが、たびたびの兵乱で落ちぶれ伊豆の国へ引っこんでいた。
しかし、もともと才ある者なので、古今のことを本にして出版したり、むかしの名将・勇士の姿を紙に摺って彩色して売り、商いは繁盛していた。この絵は漆絵といって、たいそう流行って飛ぶように売れた。
孫兵衛「この話の展開には、どっとオチがつきそうなものだが…。隣りはずいぶん商いがあるようだ、負けてはいられぬ。」
<暖簾>
回陽堂
山内屋