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風流志道軒伝ふうりゅうしどうけんでん

原文(巻之二)

風流志道軒伝 巻之二 11

のごとく目[ばかり]きよろつきて鼻の下の一しほ黒[き]もをかしく、追々湯に入[つ]て後、初[め]てもとの人間になりたる様にぞ覚ゆ[る]。次第に暦も人の心もせまりて、道行[く]人の足も跡から追[ひ]来る人も有やと見ゆるばかり。町々には売物の山草、折敷をしき、ほんだはら、はご板、何やかや、かちぐり、浅草市の人だかり。節季せきぞろのせはしなく、餅つきのかしましき中にもしたしき出合のとしわすれ拳酒けんざけきうとふらひ。めつたに手をひろげても義太夫ぶしの五段目、大三十日までかたりつめては八人芸でも間に合[は]ず、ソリャ獅子も浮いて

来ず。掛乞は皮財布かわさいふひざに敷[き]達磨だるまのやうな目をむき出し、九年面壁めんへきの居催促さいそく。あてはなくてもまだ寄[ら]ぬとの一寸のがれ、此時に至[つ]ては愚なるも富[め]者はさかしく見へ、かしこきまずしきは愚なるが如。節分の狗骨ひゝらぎいわしの頭も信仰からとはいへども、豆に逃[ぐ]る鬼ならば来りたりともまた何事をかなさん。やく仏の西の海は十二文の悪事災難さいなん[つ]たとて邪魔じやまにもならじ。悪夢を喰ふとは云[ひ][ふ]れどもばくふんを見た者なく、家々に敷[い]ては寝れども宝船に船大工もなし。思ひ付に形をゑがきて身勝