仮に居にけり。浅之進は庵にありて四方の景色を打[ち]ながむれども、立[ち]つゞきたる家居の数々、ひきゝは高きにおゝわれ、或は雲烟のたなびきてさやかには見へ分[か]ず。爰にこそ彼羽扇ならんと取出しつゝ移し見るに、南は品川、北は板橋、西は四谷、東は千住の外までも手に取[る]ごとく見へわたり、しらみの足音、蟻の囁まで聞ゆれば、初[め]て羽扇の妙なる事をしり、猶また一ト年のありさまを見んと暫心に観ずれば、忽に気色かわりて、吹[き]来る風もいと寒く道の辺はいてかへりて、土とも石とも
わきがたきに霜いたくふり渡り、師走闇の心なく暗も、くだかけの聲せはしく烏の飛[び]かふにつれて東に横雲たなびき、あかねさす初日影のさし出[づ]れば、彼神代の昔にはあらねども、物の形もしろ/\と見えわたり、家々にはしめ引[き]はへ、松竹飾たる間より行[き]ちがふ人の数々、国々の大小名はけふを晴と出[で]立[ち]、装束の袖春風に吹[き]そらし、馬の蹄竹輿の足音、其こだま十里にひゞき、見つけ/\もきらびやかに下馬先の礼おごそかなり。公の事はいふもさらなり、町は家々戸をさして