お江戸のベストセラー

風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)

原文(巻之二)

風流志道軒伝 巻之二 10

▼開

なれば富[め]ル人々は冬籠(ふゆごもり)の炬燵(こたつ)に薬喰の用心するさへ、手水鉢の檜杓(ひしやく)も氷にとぢられ、軒の氷柱(つらゝ)は剣(つるぎ)を逆(さかしま)に植[ゑ]たるがごとくなれば、おのづから寒気にあてらるゝに、其日のいとなみ事しげき者は、さま/\の業(わざ)に雪氷をもいとはず、西を東、南を北と立[ち]さはぎ、手足にはひゞあかぎれ、我身を損(そん)ずるをもいとはず。或はつよき力わざする者なんどは、かゝる寒(さむき)時さへ肌(はだへ)をあらはし汗(あせ)をながし、わづかの価の為に使はるゝ下ざまの世渡を貴キ人は思ひはかるべき事にぞ有ける。わけて煤払(すゝはらい)のそう/\しき、布子の

上に単(ひとへ)なるを引[つ]ぱり、常は事たらぬ道具なれども、かゝる時は多きやうに覚ゆるを手々に持[ち]はこびて、御祓(おはらひ)は屏風の内に鎮座まし/\、持仏は半櫃(はんびつ)の上に来迎(らいごう)あり。用にも立[た]ず、捨[つ]るにもをしかりしものなんども渋紙(しぶかみ)に包込(つゝみこま)れ、久敷く見へざりし器(うつわ)など物のそこより出[で]たるも嬉しく、または全(まつたき)道具を持[ち]はこぶとて損じたるを我は知らぬなんど下部はとがをゆずり合[ひ]。畳(たゝみ)のごみもたゝき仕舞て、諸道具片付[け]たるさま、さながら清(きよ)らには見ゆれども、からだを見れば手足も鍋(なべ)の底(そこ)なんど