は薬師の瑠璃の壺入、おんころ/\と蹴ころばし、真如の月のまん丸な比丘尼の頭巾、うば玉の闇より闇に迷ひ入[る]。それも若きはまだしもなれども、額に年の波をよせ、眉に八字の霜天に登りつめたる老僧の、寺内に弟子は多けれど、魂廓に入[り]ぬれば、一人もともなふものぞなき。されば世の諺にも、落[ち]そふで落[ち]ぬものは二十坊主と牛のきんたま、落[ち]そもなくて落[ち]るものは五十坊主に鹿の角。是はまた足利時代の譬にて、今は只、老[い]たるも若きも、貴きも賎きも、野分の枝の熟柿にて、一ッも落[ち]
ぬはなかりけり。たとへ堅固に守[り]たりとも頭陀の行乞食に似たりと、浅之進は悟をひらき、かたへに有合ふ筆をとりて
のがれんと思ひし道のくらければ
もとの浮世に有明の月
と、墨くろ/\と障子に書[き]付[け]、彼仙人より授し羽扇ばかりをたづさえて光明院を忍び出[で]、髪結床に至[り]て元服しつゝ住[む]べき処求[め]んと方々とさまよひあるきけるが、駿河台のわたり小高き所に、まばらなる庵の有けるを主に頼[み]ものしつゝ此所に