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根南志具佐ねなしぐさ

原文(五之巻)

根南志具佐 五之巻07

やさしきことながら、路考ろかうどの御事おんことは、閻广王ゑんまわうこひしたひ給ふときけば、とてものがれぬいのちなり。さりながらこひとあることなれば、それがしがはりにたて路考ろかうどのをたすけてたべ。何故なにゆゑ身替みがはり御不審ごふしんあるべきが、路考ろかうどのにはよく御存ごぞんじわが荻野おぎの系図けいづといふは、元祖ぐわんそ荻野おぎの梅三郎うめさぶらうよりおや八重桐やへぎりいたるまで、 だい/\名代なだい女形おんながたにて、三ヶ津さんがのつにてられ、 上方かみがたにては座元ざもとまでつとめしゆゑ、かくれなき家筋いへすじなり。しかるに我父わがちゝ八重桐やへぎり浮世うきよをはやくさりけるときそれがしはまだ三歳さんさいはゝふところにいだ

かれてるべのかたしのびしに、いつゝとしはゝわかれたよるかたなきみなしごにて、乞食こつじき非人ひにんともなるべきを、路考ろかうどのゝおや菊之丞きくのぜうどの、我親わがおやとのしたしみありとて不便ふびんくはへ、われやしなひ、うみ同然どうぜんにおやめのとゝかしづきて、やう/\ひとなりころより小歌こうた三弦さみせんあふぎ手身てみぶり、聲色こはいろ、さま/\におしへ給ひてひととなし、さいはひわれもなければ、いへをもつがすべけれども、其方そのはう我家わがいへつぐならば、 荻野おぎの名字みやうじたえはてば先祖せんぞあとこふひとなしとて、 われおや八重桐やへぎりあらため、こなたをむかへて