やさしき事ながら、路考どの御事は、閻广王恋したひ給ふと聞ば、とてものがれぬ命なり。去ながら見ぬ恋とある事なれば、某を身がはりに立、 路考どのを助てたべ。何故の身替と御不審は有べきが、路考どのには能御存、我荻野の系図といふは、元祖荻野梅三郎より親八重桐に至まで、 代/\名代の女形にて、三ヶ津にて知られ、 上方にては座元迄を勤しゆゑ、隠なき家筋なり。然るに我父八重桐、浮世をはやく去ける時、 某はまだ三歳、母の懐にいだ
かれて知るべの方へ身を忍しに、五の歳、母に別たよる方なき孤にて、乞食非人ともなるべきを、路考どのゝ親菊之丞どの、我親とのしたしみありとて不便を加へ、我を養ひ、産の子も同然にお乳やめのとゝかしづきて、漸人と成し頃より小歌、三弦、扇の手身ぶり、聲色、さま/\に教給ひて人となし、幸我に子もなければ、家をも継すべけれども、其方我家を継ならば、 荻野の名字たえはてば先祖の跡こふ人なしとて、 我を親の八重桐が名に改、こなたをむかへて