お江戸のベストセラー

人間一生胸算用にんげんいっしょうむなざんよう

14

人間一生胸算用 14

こうして、せっかく叔母から借りた金も足と手がチャラにしてしまった。みな腹が立ったが、まさか手足を切って捨てるわけにもいかず、どうしようかといろいろ悩んでいたところ、最近、近所で富クジを当てたヤツがいるらしいと耳が聞きつけてきた。
〈気〉はぐぐぐっと悪い気をおこし、ある夜、手に言いつけてその金を盗みにやったが、手はしくじって見つかってしまう──これで、とうとう無二郎の体は町内にもいられなくなった。てんでに荷物をかついで足にまかせて夜逃げする……ヒドい話だ。

口

「おらぁ、いっそ元手を工面して、ちっときたねぇが、小間物店でもだすべい。」

足

「今夜は、とんだ寒い晩だ。 足袋たびをかぶってくればよかった。オイラもこれからは、かかとで巾着を切らなきゃ。」

手

「おらぁ、いっそ、てんぼう正宗のところへ弟子入りしよう。」

目

「情けねぇ、みんなのザマを見るがいい。目の寄るところへザマが寄るとは、このことか。」

耳

「これ、もっと静かに話せ。壁におれ(耳)ということがある。」

鼻

「なにさ、ビクビクさっしゃんな! うしろにゃあ、この鼻が控えている。」

京伝は、このありさまをじっと見ていたが、自分もしばらくこの体にやっかいになったことだし、しかも友だちの無二郎のことなので、なんとも気の毒なことと同情する。しかし、意見をしようにも当人の体の中にいては、しょうがない。
これはきっと、心が心のあるべきところにないことが原因だろうと、かね、太鼓をたたいて〈心〉を探しはじめた。

京伝

「迷い子の、迷い子の、無二郎の心やぁ~い!」

♪チキチャンチキ、チャンドコドン!
しまった、これじゃ壬生狂言の拍子だ。

京伝

「足のツマ先から背中あたりまで、二、三べん探しまわったが見つからねぇ。」

京伝

「無二郎め、走って逃げてるな? 国中がえらい地震だ。」

京伝

「ここいらは、スジが多くて歩きにくい。サツマイモとしたらヒドい出来だ。」

注釈

ちっときたねぇが
「小間物店」は隠語でヘドの意味があった。「小間物店を開く」はヘドを吐くこと。
巾着を切らなきゃ
「巾着を切る」はスリをはたらくこと。
てんぼう正宗
鎌倉末期の刀工。江戸期のフィクションで伝説化され、師匠の技を盗もうとして手を切り落とされたことから「てんぼう正宗」と呼ばれた。片手がないので、手が弟子入りすると言っている。
目の寄るところへザマが寄る
成句「目の寄る所へは玉も寄る」のもじり。同類は寄り集まるという意。