あるとき、京伝は草庵を出てどこへ行くともなくウロついていたが、ついうっかり善魂の隠れ家まで来てしまい、しかたなく、かた苦しい講釈を聞くハメになる。
善魂
「それ、人体というものは、たとえて言えば小さな天地のようなものじゃ。二つの目は月と日、肉は土で骨は岩石である。血は水で脈は水の流れ、毛や爪は草木、はく息とひる屁は風のようで、涙と小便は雨のようなものだ。声を発すれば雷鳴のごとく、体に住んでいるノミ、シラミは、天地に鳥や獣が住むのと同じこと。だからこそ、股ぐらの谷間には松茸が生じ、ヘソの下の海辺には赤貝も生まれるではないか。
ようするに、人というものは人体という小天地を司る神にも等しく、この神の心しだいで、聖人や仏が生まれ、また、鬼や天狗も生まれるというわけじゃ。どうだ、わかるか? わかるか?」
京伝
「ハイハイ、ごもっとも、ごもっとも。」
善魂は、もったいぶった言いまわしで『博物志』の逆のようなことを言って、さらに聖人の教えまで持ち出して説明をはじめた。
「老子は『聖人其心ヲ虚ニス』と云う。
大学には『先其心ヲ正ウス』とある。
華厳経は『唯一心』と説いて、
『心こそ心迷わす心なり』
『心だに誠の道にかなひなば』
という歌にもあるように、とかく大事なものは──心じゃ。
『大事な心ほんだわら』
などと、ざんねんなシャレを言ってしまうのも、やっぱり心の仕業なのじゃ。」
京伝
「ヘイヘイ、ごもっとも、ごもっとも。」
薬店の口上なら、ここは神農の人形を使うところだが、それではあんまり色気がないから神農の代わりに「新造(若い遊女)」にご登場願ったのさ。