「初ガツオ、初ガツオー!」
表をカツオ売りが通ると、耳がいち早く聞きつけた。口は食いたくてたまらなくなり番頭の〈気〉をアオれば、〈気〉はもともと浮かれたヤツなので、すぐその気になって〈心〉へ頼みこむ。
「モシ旦那、思いきって初ガツオをお買いなされぬか。初ものを食べれば、寿命が七十五日のびるそうです。」
しかし〈心〉は、決してなびかない。
こんな立派な心があれば、無二郎の行末も安泰で万代も栄えるだろうと、たのもしくなる。
『耳に諸々の不浄を聞いて、心に諸々の不浄を思わず。』とは、まさにこのことである。
京伝
「なるほど、こう心がしっかりしていては、無二郎もハメをはずせねぇわけだ。」
「モシモシ旦那、清水の舞台から落っこちたと思って、買いませんか。」
「いやいや、おれは清水の舞台へ登ったと思って、買わない。」
「番頭さん、そこをおまえのお働きで、どうか、どうか、よしなにおたのみさ。」
口は、まるで七つ屋(質屋)にねだるように必死で番頭をくどいている。
ある日、無二郎は寺参りの帰りに両国あたりを歩いていたが、向こうからやって来る美しい芸者を目が見つけて浮かれだす。耳は芸者の三味線が聞きたくてたまらなくなり、二人して〈気〉をたきつけた。
〈気〉は、たちまち興奮して〈心〉の旦那にせがんだが、旦那はキッと辛抱して首をたてにふらない。
「とかく見るだけでも目の毒だ。見るな、見るな。さぁ、歩け、歩け。どう見ても二分(4~5万円くらい)はかかる上玉だ。」
「なんとまぁ、いい燭台じゃあねぇか。百目ロウソクをいっちょう灯してぇ。」
目は舞い上がって、わけのわからないことを言っている。
「喜助どん、百川(料亭)には小田原町の役人さんも、いらっしゃったかの。」
「かんざしが落っこちそうだ。もっと差し込みなせぇ。」