〈気〉は、みんなにおだてられ、やたらと気が大きくなり、ある日、口をお共にして向島の料亭武蔵家(鯉料理の名店)へくり出して、豪快におごりまくった。
口は生まれて初めてこんな旨いものを食い、酒もしこたま飲んで、いい心もちになって酔っぱらう。
〈気〉は、だんだん違ってきて、いきなり笹の葉をかついで踊りだした──酒を「気ちがい水」というのは、まさにこのことか。
〈気〉が壬生狂言にキツネが憑いたようなアヤしい手つきで踊れば、口はマヌケが心学を習うときのように茶わんを叩いてはやしたてる。
「鯉の洗いもお持ちしましょうか。」
「どれどれ、何から食うか。ああ、小娘が呉服屋へ行ったときのように目移りしてたまらん!」
それから〈気〉は、いよいよ気がふれ、目のヤツにも色っぽいものを見せて、鼻にもいい香りをかがせてやろうと二人を呼びにやり、みんな仲良く吉原中の町の夕景色を楽しんだ。
目・鼻・口は三人寄って凡夫の知恵をだし、〈気〉をおだてまくって吉原でイッち美しい花魁を手配させる。
口は、ヨダレをたらして見ている。
「ああ、いい匂いだ。これが、 百助のクコ油か。ちっと小菊(上質の懐紙)で鼻をかんでから、よく匂いをかごう。今までは、チリ紙でしかかんだことがねぇ。」
目は、正月が三度いっぺんにきたように、目をこらして眺めまわしている。