お江戸のベストセラー

人間一生胸算用にんげんいっしょうむなざんよう

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人間一生胸算用 04

善魂ぜんだまの力で無二郎の体の中に入ってみると、そこにはひとつの国──善魂が言っていた小天地というものらしい──があり、これを「無状むじょう無象むぞう国」という。
この国の主人あるじである旦那は〈心〉で、番頭は〈気〉である。心と気は、もともとひとつだったのが分かれたものだ。
目、耳、鼻、口は手代てだい(使用人)で、手と足はその下に仕えているが、雑用から草履取り、丁稚の仕事まで何でもやらされている。

無状無象国

この者どもの腰へ縄をまわし、主人あるじである〈心〉がその先をしっかと握っている。手を動かそうと思えば手の縄をゆるめ、歩きたいときは足の縄をゆるめる。みな〈心〉の指示に従って働くさまは、まるで鵜飼うかいか猿まわしのようだ。
心の駒に手綱許すな』とは、まさにこの国のことを言っているのである。

無状無象国

無二郎の〈心〉は、常日頃からマジメで落ち着いているので、この国はよく治まりおだやかそうに見える。といっても無二郎がまだ年若いこともあって、番頭の〈気〉は何かにつけて移り気でフラフラしたところがあるが、そこは〈心〉がかたく引き締めている。

京伝

善魂ぜんだまが入ってみろと言うから来てみたが、なるほどこいつは驚きだ。」

京伝は、この国のようすを不思議そうに見ていたが、これを見れば、荘子の云う『かたつむりのツノの上の国』も、まんざらウソっぱちとは思えなくなる。

京伝

「さてさて、見事な仕組みだ。まるで、正月の宝引ほうびきだ。」

足が寝ている手を起こしている。

足

「コレコレ、手よ、目をさませ。旦那がさっきから縄を動かさっしゃる。」

手

「なぁに、知らねえフリをしていればいいさ。どうせまた、鼻のために手鼻をかんでやれというのだろう。困った旦那だ。」

注釈

心の駒に手綱許すな
ことわざ。心を駒(馬)にたとえて、手綱をしっかり握って自由にさせるなという意。
かたつむりのツノの上の国
荘子の寓話『蝸角(かかく)の争い』。
かたつむりの左右のツノの上にある国同士が争ったという寓話で、つまらないことで争うことのたとえ。
宝引
束ねたヒモの中から一本引いて、つないである景品や銭を引き当てるクジ。
→『宝引』