善魂の力で無二郎の体の中に入ってみると、そこにはひとつの国──善魂が言っていた小天地というものらしい──があり、これを「無状無象国」という。
この国の主人である旦那は〈心〉で、番頭は〈気〉である。心と気は、もともとひとつだったのが分かれたものだ。
目、耳、鼻、口は手代(使用人)で、手と足はその下に仕えているが、雑用から草履取り、丁稚の仕事まで何でもやらされている。
この者どもの腰へ縄をまわし、主人である〈心〉がその先をしっかと握っている。手を動かそうと思えば手の縄をゆるめ、歩きたいときは足の縄をゆるめる。みな〈心〉の指示に従って働くさまは、まるで鵜飼か猿まわしのようだ。
『心の駒に手綱許すな』とは、まさにこの国のことを言っているのである。
無二郎の〈心〉は、常日頃からマジメで落ち着いているので、この国はよく治まりおだやかそうに見える。といっても無二郎がまだ年若いこともあって、番頭の〈気〉は何かにつけて移り気でフラフラしたところがあるが、そこは〈心〉がかたく引き締めている。
「善魂が入ってみろと言うから来てみたが、なるほどこいつは驚きだ。」
京伝は、この国のようすを不思議そうに見ていたが、これを見れば、荘子の云う『かたつむりのツノの上の国』も、まんざらウソっぱちとは思えなくなる。
「さてさて、見事な仕組みだ。まるで、正月の宝引だ。」
足が寝ている手を起こしている。
「コレコレ、手よ、目をさませ。旦那がさっきから縄を動かさっしゃる。」
「なぁに、知らねえフリをしていればいいさ。どうせまた、鼻のために手鼻をかんでやれというのだろう。困った旦那だ。」