お江戸のベストセラー

人間一生胸算用にんげんいっしょうむなざんよう

3

人間一生胸算用 03

京伝は、かた苦しくて面白くもない長話を聞かされてウンザリしていたが、講釈が終わると善魂ぜんだまが誘ってきた。

善魂

「今から連れて行きたいところがある。どうだ、行くか?」

こいつは、吉原でも行くような口ぶり──まんざらでもねぇと思い、京伝は乗り気になる。

京伝

「こりゃあ、行く方でしょう。今からグッとくり出せば、おもくろ山の群ツバメ。柳橋にわたしの馴染みの舟宿もあるので、サァサァ、行きましょう!」

善魂

「いや、舟もヘチマもいらねぇ。」

善魂が片手をあげると、突如あたりに一片の雲が巻きおこり、二人を乗せてどこかへ飛び去ってしまった。どこへ連れて行くのかと思ったが──何のことはない、京伝の家の隣にある無名屋無二郎という商人あきんどの家に入って行く。部屋では無二郎が帳簿をつけているが、京伝たちの姿は見えないらしく気づくようすはない。
無二郎というのは、まだ二十二、三の若者だが、身なりも気にせず朝から晩までソロバンをはじいているような、きまじめで面白味のない息子である。

「おまえに、人というものの本質を見せよう。」
善魂がそう言うと、京伝の体がみるみる小さくなって、無二郎のはき出すタバコの煙に包まれながら、吸い込まれるように彼の体の中へ入ってしまった?!

京伝「はい、冷えものでござい。ごめんなさい。」

京伝

無二郎は、友だちの京伝を腹の中へ飲みこんだとは夢にも知らず、ひとり言をつぶやいている。

無二郎

「おらが隣の京伝は、ホントにどうしようもないヤツだ。また遊び歩いて四、五日も帰らないらしい。バカにつける薬がないとは、よく言ったものじゃ。ああ、隣の邪気のせいで、こっちまで頭が痛い。」

京伝

「いまいましいヤツだ。オレのことをクソのように言いやがる。ヘクシッ! ヘクシッ!」

注釈

おもくろ山の群ツバメ
言葉あそびで「おもしろい」の意。
おも白い→おも黒い→黒山の群ツバメ
冷えものでござい
湯屋で先客がいる湯ぶねにつかるときの挨拶。