の者なりなんど語[り]けるに、様々馳走に大人のもてなし。二三日も程経て後、遊山に出[で]よと竹輿に乗せて人立多き処に芦簾にて四方をかこみたる仮屋の内へ伴行、台の上に浅之進を乗[せ]置[き]、をかしき形せし笛太鼓のなりものにて拍子取[り]、生[き]た日本人の見せもの、手に入[れ]て這す様なちつぽけな美男、作物こしらへものとは違ふて生の物を生で見せる、御評判/\と高聲に呼[ば]はれば、老若男女おし合[ひ]せり合[ひ]、引[き]もきらぬ人群集、皆々指ざし笑ふ体、浅之進うるさく思ひ如何はせんと案じ
けるが、爰にこそ彼羽扇ならんと天に向[つ]て仙人を拝し羽扇を以て飛[び]立[て]ば、小屋の屋根をつき破[り]て雲井はるかに飛びされば、大人どもは月夜に釜、ぬか悦の口々に、是まで日本人の飛行する事聞及[ば]ず、是は定[め]て日本に沢山なる天狗にてやあらんといへば、さればこそ羽扇を持[ち]たり、しかし鼻は小さかりしなど思ひ/\の取沙汰、一人の大人が曰[く]、諸国廻る天狗なれば、どこその色里にて鼻は落したるにぞ有[ら]んなど、評定しても埒明ず。夫よりも浅之進は羽扇にまかせ飛[び]けるが、かすかに島の見えければ、其所へぞおり