下の境町、見るも殊更京町から、新町より河岸の辺までぐるりと廻りてすみ町は、遊び時を江戸町と口合まじりに見渡せば、行[き]かふ挑灯下駄の音、格子の内の燈は昼よりも照かゞやける縫箔の伊達もやう。銘々たばこ盆に指向ひ思ひの烟くゆらせつ、または文なんど書[け]る体、ゑりの白きにいたづら髪のふりかゝれるもおくゆかしく、何かは知[ら]ず隣どちの囁合[ひ]たるも心にくし。人の心を引立[つ]る三弦のいとかしましくは思へども、何となう心うかれ此界の人ともおもほえず、雲の通路吹[き]とぢて、天津乙女の姿ならんと
何れを見てもみにくきはなく、又それと定[め]んと思へば是ぞと思ふわいだめのなきは、目のうつろひならんと後には却[つ]てそこ/\に見極る。一夜流の縁結は出雲の神の帳付[く]るにもさぞいそがしくや有らん。遊びの趣向、閨の振舞、手くだこんたんやりくりのもやうは、事古にたればいはず。二度目に行[く]を裏返すとなんいへるは塗工よりいひ出し、売[り]かえるを鞍がへなどは古詞もあるなんめれども、只伯楽の詞に似たり。二度よりは三度、五度よりは七度、段々に面白く、顧愷之が甘蔗にはあらで漸佳境に入[り]たるを粹といひ、又