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根南志具佐ねなしぐさ

原文(四之巻)

根南志具佐 四之巻08

うつれるおもかげをやゝとれたるその風情ふぜい、さすが岩木いはきにあらざれば、おもひとすてがたく、やゝうちながめたりしが、たがひ云出いひいづことばもなく、をりしもかぜのそよとふきければ、彼男かのおとこふりあをむきて
  かぜとならばやきみ夏衣なつころも
ぎんじければ、菊之丞きくのぜうとりあへず
  しばしあふぎほね垣間見かいまみ
これよりすこしほころびて彼男かのおとこふねさしよせ菊之丞きくのぜうふねにつなぎすてうちのりつゝ、くれてよりこよのふすゞしくなりたりなんどゝよそごと

いひものすれば、菊之丞きくのぜうづから銚子てうしさかづきなんどたづさへきたり。先程さきほどふつゝかなるくちずさみに、やんごとなき御脇おんわきたまはりしより、只人たゞびとならず見参みまゐらせたり。一樹いちじゆかげ一河いちがながれひとかたならぬゑにしとなんきゝはべりたり。何国いづくひとににてましますぞや御名おんなゆかしとたづぬれば、われ浜町はまてうへんすめるものなり。なつあひだあつきをさけんためひとなんどもつれず、われ一人ひとり小舟こぶねさをさし、この風景ふうけいたのしみとせり。しかるに、けふおもはずもきみ姿すがた垣間見かいまみしより、おもひははれぬ天雲あまぐもの、ゆくら/\と釣舟つりぶねなみのたゞよふ