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根南志具佐ねなしぐさ

原文(四之巻)

根南志具佐 四之巻07

ゆかんとて一人ひとりふねにぞ残居のこりいたりける。ころしも水無月みなづきなか五日いつか西山せいざんにかたむき月代つきしろひがしにさしいでて、みづおも漣漪さゞなみたちて、いとすゞしく頃日このごろあつさわするばかり、別世界べつせかいいでたるおもひをなしければ、菊之丞きくのぜうすゞり取寄とりよせてかく。
  なみ染直そめなをしたりなつつき
となんかきしるして、黄昏たそがれ気色けしきよくいひかなへたりと、ひとりゑみをふくみぎんかへしけるをりから、いづちともなく、
  くもみねからかね入相いりあひ

とほのきこへければ、菊之丞きくのぜう不思議ふしぎおもひをなし、何人なんひとかわ、かゝるしほらしきわきをなんせしと、あたりを見廻みまはせば一葉いちえふふね梶取かんどりもなく、わかさむらいたゞ一人ひとりかさふか/\とうちかつぎ、釣竿つりざををさしのべて余念よねんもなきていなり。さて只今たゞいまわき此人このひとにこそありけんとおもへば、こゝろばへ奥床おくゆかしく、 ふなばたよりうちながむれば、彼男かのおとこもふりあをのきしをよくれば、としころ二十にじふ四五しごばかりにして、色白いろしろきよらなるが路考ろかうて、につとわらひおもざしにつゝむにあまる恋衣こひごろもむねおもひの十寸ますかゞみ正目まさめにはもやらず、みづ