は又能慰なり。一日あそこ爰と漕廻りけるが、いざやさわがしき所を離て遊んとて船を三股てふ処へこぎ寄て、四方の気色を見渡せば、南は蒼海漫々として雲と海との色もさやかには見へわかず。行かふ帆は蝶の飛かふがごとく、安房相模の海にそふて出たるは、只一筆にて画たるに似たり。西は箱根大山なんども幽に見へわたり、けふは水無月其日なれば、かの望に消ぬれば其夜ふりけりと詠じたる富士の高根もいとしるく、近きあたりは人の家居のみ多くして、民の竈の夕煙た
なびき渡り、さしもに広武蔵野も人の住わたらぬ処もなく、草より出て草に入昔の月に引かへて、軒より出て軒入るともいふべき風情。道行人は只蟻なんどの行かふがごとく見へ、渡ればさながら仙境に入たる心地なんして、覚へずも舷をたゝき、いとしめやかに諷たるに舟屋かたの塵もちり、空行雲もたゞよひぬともいふなる。 人々は興に乗じて香包取出して一炷くゆらせ、いとしづかにたのしみけるが、いざや中洲の辺へ行て蜆とらんと、皆々小舟に乗移、菊之丞曰、 我は案じ掛し発句あれば跡より