お江戸のベストセラー

霞之隅春かすみのくまはるの朝日奈あさひな

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霞之隅春朝日奈 05

女護島はまだ使い道があるが、どうにもつぶしのきかないのは、くろん坊の女。何かうまい手はないかと思っていたが、このごろよく看板で見かける『オランダ伝来の洗い粉』なるものを使わせてみたら──あら不思議、闇夜に月が出るごとく、浦島の玉手箱、紺屋こうやの白袴、粉屋のねずみときて、たちまち白くなる。

朝比奈「生まれ変わったようだ。そうしたところは、まんざらでもねぇ。」

くろん坊女「あんまりほめてくんなさんな。夢かもしれねぇ。」

朝比奈これはこれはとばかり、顔の吉野葛。きれい、きれい!」

背高島「そう半分洗ったところは、二朱見世のしるしというものだな。」

手長島は大の酒好きなので、ある夜、朝比奈の留守をいいことに、酒樽の寝入ったところを見はからって、奥座敷から手をのばしてコッソリ呑み口の栓を抜いた。
しかし、腹に穴のある人が目を覚ましてこれに気がつき、呑み口を押さえて、ちょうど小便が出そうだったので酒の代わりに茶碗に小便を仕込んでやる。
手長島は気づきもせず、それをグイっと引っかけ、いい心もち。

穿胸国せんきょうこく「最近ちと熱っぽいから、まるで古酒のような小便だ。」

そういえば、ある人が言っていた。
「酒の出る音は、ドクドク。小便の出る音は、ジャアジャア。」
さては、安宅あたかうたいで『ドクジャ(毒蛇)の口を逃れる』とは、このことか?

注釈

紺屋の白袴
紺屋が、いつも白袴をはいていること。他人のことに忙しくて自分のことをする暇がないという意。
これはこれはとばかり、顔の吉野葛
江戸初期の俳人、安原貞室の俳句「これはこれはとばかり、花の吉野山」のもじり。
二朱見世のしるし
二朱見世は、二朱で遊べる遊郭。しるしは、遊郭の格式を表わす籬(まがき:遊女をのぞき込むための格子)のこと。格子が天井まであって遊女が見えにくい見世が最も格式が高い。二朱見世はランクが低かったので遊女をのぞきやすいように格子の上半分が開いていた。上半身が白く下半身が黒いようすをこの籬にたとえている。
ドクジャ(毒蛇)の口を逃れる
謡曲『安宅(あたか)』で、関所でのピンチを逃れた義経、弁慶一行が陸奥を目指すラストシーン。
「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して、陸奥の国へぞ下りける。」