傾城七里、秘曲をつくして弾きのめしたが、しょせん細工物の目玉、いけしゃーしゃーケロっとして、ちっとも景清の目らしきものはなし。
重忠悩み、再び知恵を絞って、前にも大仏供養に景清が衆徒(僧兵)に変装して入り込んだので、また大仏供養をして待ち伏せする作戦にでる──しげ印、だんだん策がしょぼくなる。
ちょうどそのころ、大仏をたずねて達磨大師が鎌倉に来ていたが、目の大きなところを重忠にアヤしまれてしまう。いろいろ言い訳しても聞いてもらえず、しかたなく達磨は灰汁で目を洗ってみせ、やっと疑いが晴れた。
これより、物のさっぱりしたことを『ダルマの目を灰汁で洗ったようだ』と言い伝える。
重忠「景清が目玉と名のれ! なんとすさまじき眼力!!」
達磨「これじゃ、夜更けの遊女が廊下を歩くときのように人目を忍ばねば……。こんなところに長居をしたら、だるま目(どんな目)にあうか知れん。景清とは、とんだ衆徒(人)ちがいさ。どうでもしげさんヤボじゃもの、わしをダルマと知らぬとは。」
「わっちやるまだでほっすよ。」
なんと松葉屋ことばは、たいしたものか。