<解説>
作者の山東京伝は、江戸後期の天明~文化期に活躍したベストセラー作家です。絵師出身なので挿絵も描いています。
『悪七変目景清』は、江戸期に歌舞伎や浄瑠璃で大人気だった「景清物」と呼ばれる悪七兵衛景清を主人公にした一連の演目のパロディです。ただし景清物といっても、この作品の主役は景清ではなく、意表をついて景清の “目玉”?!
今となっては、ちょっとキケンな香りの漂う設定ではありますが、品の良い京伝先生のことなので、そうハメを外すこともなくおとぼけギャグ満載な作品になっています。
景清物は、現代歌舞伎でもよく上演される定番ですが、たとえ景清物を知らなくても “目づくし”のダジャレ満載の京伝流ギャグを楽しむことはできます。
ですが、ちょっとでも景清物の基本設定を知っていた方がより楽しめるのと思うので、景清物を知らない方のために簡単ですがその基本イメージをまとめておきます。
「景清物」の世界は、源平合戦の末に頼朝公が天下を統一した泰平の世です。武将たちは敵味方関係なく、ときには史実ではとっくに討ち死にしている者も含めて、すべて頼朝の家臣となっています。
そんな中、平家の侍大将・悪七兵衛景清だけが、しつこく頼朝をつけ狙います。景清は毎回趣向を凝らした変装で頼朝を狙いますが、頼朝の側近、畠山重忠がそれを阻止します。重忠は「鎌倉武士の鑑」とされる人格者、景清は筋金入りのアウトロー。この二人は、敵同士ながらお互いを認め合う、まさに対決ものフィクションの王道をゆくゴールデンコンビです。
景清物は、この「景清 vs. 重忠」を軸にして、さまざまなバリエーションで語られる物語。その中の代表的なエピソードをいくつかご紹介します。
大仏供養
平家の南都焼討で焼失した東大寺の大仏殿を頼朝が再興する。景清は、その落成法要に衆徒(僧兵)に変装して入り込み頼朝を狙う。しかし、重忠に見破られて失敗。役人たちに囲まれるも余裕たっぷりの景清、さんざんに大暴れして「重忠、また会おう!」と、決めゼリフとともに去って行く。
牢破りの景清
捕らえられ、鎌倉の土牢に入れられる景清。「源氏のものは口にしない」と言って何日も絶食し、さすがに衰弱する。
そんな中、重忠と岩永左衛門(源氏方の典型的な悪役)は、平家の宝として名高い「青山の琵琶」と「青葉の笛」の行方を聞き出すため景清を取り調べる。しかし、景清は何をやっても動じない。
ついに岩永が悪役のお約束、景清の恋人と娘を連れて来て「吐かねば娘を殺すぞ」と脅しにでる。これには景清、大激怒! 牢を破壊し、番人の腕を引っこ抜き、それをバリバリ食べて腹を満たして元気いっぱい、役人どもをさんざん蹴散らしての大暴れ!!
岩永「源氏のものは食わねぇって言ったじゃねーか!」
景清「こいつは、寝返って源氏についただけで、もとは平家の家来だからいいの。」
おとぼけかまして、「重忠、また会おう!」と景清は去って行く。
※岩永左衛門は絵に描いたような悪役ですが、歌舞伎ではいつも会場に笑いをもたらすユニークなキャラでもあります。
阿古屋の琴責め
重忠と岩永は、景清の居場所を聞き出すために景清の恋人、遊君・阿古屋を取り調べる。
岩永が、ここでも悪役らしく、
「こんな小娘、痛めつければすぐ白状するね。」
と言うのを重忠押しとどめ、琴と三味線、胡弓を用意して阿古屋に演奏させる。
音色の微妙な乱れから嘘を見抜こうとする名詮議。さすがの重忠、「どうでもしげさん粋じゃもの♪」ときたもんだ。
なお、阿古屋は景清の居場所を知りませんでした。
景清の隠棲
やがて景清も頼朝公の懐の深さに感じ入り、とうとう観念する。しかし「源氏の世は見たくない」と、自ら両眼をくり出し盲目となって九州の宮崎に下り、頼朝のはからいで日向勾当(盲人の官職)として隠棲する。
以上が、滑稽本などでよくパロディにされる景清物の代表的なお話です。
実際の内容は、もっともっと奥深く趣向を凝らした演出であふれています。これで景清物を説明したと言ったら歌舞伎ファンに怒られます。
この『悪七変目景清』は、お話としてのパロディ部分はさらっとしたものですが、実は絵の方にちょっとしたディープなネタが隠れています。
絵の中に景清の目が描かれているところ(目姿や馬の目)があるのですが、これらは四代目市川団十郎として描かれています。
この作品が出版された天明六年(1786)は、五代目団十郎の時代でした。「景清」がはまり役だった四代目はすでに8年前に他界しており、天明四年には四代目の七回忌追善として『景清牢破り』を五代目が演じています。
そんなときに、作品の中にあえて先代の似顔(目)絵を描いたところは、「景清といえば四代目」と言われるほど景清が似合っていた四代目への京伝先生なりのオマージュなのかもしれません。