巻之五(2)
志道軒、始動する
浅之進と百人あまりの唐人たちは、やっとの思いで島にたどりついた。
みなヘトヘトになって浜に上がると、浜辺には見わたす限りに無数の草履が並べてある。わけもわからず、てきとうな草履をはいて歩き出したが、突如、歓声とともに大勢の女が現れて男たちを取り囲んだ。自分の草履をはいた男に飛びついて抱きつく女、ハズレてくやしがる女、疲れ果てた男たちはもみくちゃにされ、てんてこ舞いの大騒ぎ。
そこへ、この国の役人がやって来て告げる。
「この国に今までこんな大勢の男が来たことはない。まずは、城で取り調べを行う!」
役人たちは、有無を言わさず男たちをカゴにつめこんで、ひとり残らず連れ去ってしまった。せっかくの男を取り上げられて意気消沈する女たちだったが、そのうちにあちらこちらから怒号や罵声がまきおこって浜は騒然となる。
城では男を初めて見る者も多く、みんな集まっての大盛りあがり。男たちも水と食料を与えられてやっと一息つき、ここが女だけの島と知って歓喜にわいている。
すると、城の外が突然騒がしくなった。
見ると国中の女たちが押し寄せ、城を取り囲んで口々に叫んでいる。
「この国に育つ者、上も下も男が恋しいことに変わりなし!」
「お上のご威光ふりかざし、残らず取りあげるとは、なんとつれなきなされ方…。」
「男を返せー!!!」
「さもなくば、城に攻め込んで目にもの見せん! 日本で名高き巴、板額にあらずとも、女の念力岩をも砕くー!!」
「おおー!!!」
女たちのうらみの気が天地を覆いつくし城中の者が震えあがったが、その時、浅之進が帝の前に進み出た。
「しょせん百人ぽっちの男では、どこへ行っても国中の者が争うことになります。上が取れば下ねたみ、下へ行けば上うらむ──これでは乱世のもとです。
そこで、ひとつ私に考えがあるのですが、唐土にも日本にも女郎屋というものがあります。これにならって私ども百余人の男たちが見世を出し、情けの道を商うというのはどうでしょう。そうすれば、この国の者も上下のへだてなく、いつでも男を相手にできるので、お互いうらみっこなしで丸く収まります。」
これには帝も感心し、それがよろしかろうということになって、さっそくその旨をまわりに告げると国中の女たちも納得して引き下がった。
それから浅之進は、都の北の適当な土地を吉原に見立てて四方を掘りで囲み、茶屋、揚屋から商人の家々までもれなく建て並べ、入口には大門をこしらえて廓の男が外に出られないように番屋を置いた。さらに、自分も含めて百人あまりの唐人たちを五人、十人ずつに分けて見世を開く。
ところで、女の場合は女郎・遊女だが、ここでは男の傾城(遊女)なので、その名を男郎・遊男とした。年寄りはやり手(遊女を管理する女)の役につけたが、これも男なので取り手と名づける。
そのほかは何事も吉原を手本として、太夫・ 格子・ 散茶(上級遊女の階級)を定め、あまり風采のあがらない唐人は河岸へ追いやって引張店(下級遊女の店)まで出した。
装束にも気をつかい、島の女たちはとかく日本の風俗がお気に入りなので、唐人たちの頭を剃って巻上鬢(流行りマゲ)にし、華やかな長羽織を着せて紅白粉で化粧する。
やがて──黄昏どきに鈴の音鳴り響き、見世の前にズラリと居ならぶ遊男たち。灯火くわっと照りわたり、待ちわびた大勢の女客は格子に顔を押しつけあっての品定め。
そそくさと客連れで二階へ上がる者がいれば、茶屋・揚屋に呼ばれての花魁道中は、そろいのかむろに日唐傘、羽織の襟もと艶やかに、裾も乱れる八文字。見たことも聞いたこともない華やかさに誘われて、国中から女たちが遊男買いにやって来る。
初会もほどなく馴染みとなって、貰いのもめごと、物日の約束、いつしか客も粋となり、立てひき・意気張り・のく・切るの心持ち──男女のかけ引きは、どこの世でも変わることなし。ただ世の女郎とちがうのは、 袖留、かね付の世話がないことだけである。
浅之進と唐人どもは、天上の栄花もこれにはかなうまいと、故郷のことも忘れて浮かれ楽しんでいた──が、しょせんそれも最初だけ。だんだんとわびしさがつのり、やがて心の中を秋風が吹きぬけていく。
「雨の降る夜も雪の夜も…ほんにつとめはままならぬ…」
そのうち客を見るのもいやになり、気に入らない客の相手は断ろうとしても、夜中からみついてうらみごとを言われるので、そうそう拒むこともできない。がんばって夜も昼もセッセと励めば、月日を重ねるごとにみな青白くやせコケていく。
やがて半年もすると、コッコッと咳が出るのを合図に、一人、二人と無常の恋風に誘われて西方浄土へ鞍替えはじめた。ああ、悲しきかな生者必滅のことわり──人の命のはかなきこと露のごとく、また稲光りのごとしという仏の教えは、まさにこのことであろう。
とうとう最後は、浅之進ただひとりになってしまい、国中の女たちはあまりの悲しみに涙でたもとを濡らす。来世は二人で添いとげようと契りの言葉もあったのに……思いをこめた反魂香の煙が立ちのぼっても、あまりの相手の多さに幽霊さえも恋路の闇に迷って出てこれず。
しかし、どういうわけか浅之進だけは元気いっぱいなので、ほかの客もみな浅之進ひとりを目当てに通いはじめた。しかたなく昼夜を五十ほどに切り分け幾度となく励む浅之進だったが、その体はまるで金鉄のごとく少しも衰える気配がない──ただ、もの悲しい空虚さだけが増していく。
つくづくとわが身を思う浅之進。ただひとり生き残ったとはいえ、このままでは身請されることもなく死ぬまで廓つとめの身。前はあんなに面白かった色遊びも日常になってしまえばただ煩わしいだけと、世の女郎や男娼の身の上までも思いやる。
なんと味気ない世の中か…と、部屋でひとりたそがれる浅之進だったが、突然その後ろ頭を誰かにポカリと殴られた。驚いて振り向くと──そこに立っているのは、あの風来仙人。
「バカもの!」
ポカ。
「おまえは何をやっとるか!!」
ポカポカ。
杖で打たれ、浅之進はひれ伏して畳に額をこすりつけた。
「め、めんぼく次第もございません!」
ひたすらあやまる浅之進を前に、仙人は説教をはじめた。
「どこまでも深入りしおって、限度というものを知らんのか。人の世では『功成り名を遂げて身しりぞく(老子)』は、春夏に咲きほこった草木の秋冬にしぼむがごとく、まさに天の道である。おまえも、すみやかに世を遁れるのだ。しかし、ただ山奥に隠れるばかりが隠れるではないぞ。大隠は市中にありだ。しかも、その隠れ先にもいろいろある。売卜(占い)に隠れ、医に隠れ、詩に隠れ、歌に隠れるじゃ。
わしの教えは、世に交わり人情を知ったうえで、逆に世を笑い飛ばして世俗のアカにまみれるな──ということであったのに、おまえは、世俗の影響を受けて心が動きすぎる。人の浮世に交わるということは、たとえて言えば銭湯に入るようなものだ。穢れたことで湯に入るのは穢れをうけるためではない。穢れでもって穢れを落とし、かかり湯をして出れば、その身はいつも清浄である。この道理をもって世と交われば、たとえまわりにどんな下劣な者がいようとも、その身を穢すことはない。蓮華は汚泥の中にあっても輝く──まさに「涅に緇まず」じゃ。
なのに世の中には、俗のアカにまみれ欲に執着して身を持ちくずす者の多いこと。なにも遊女狂いの話だけではないぞ。なにごとも過ぎたるは害になる──聖人の教えでさえ、その道にとらわれた屁っぴり儒者の手にかかれば、人を惑わす害悪でしかない。
おぬしは、唐土で官女の色香に溺れて羽扇を焼かれ、この島では色欲の虚しさ、人の命のはかなさを目の当たりにした──少しは学ぶこともあったろう。」
「へへー!!」
浅之進は、ひれ伏したまま返事をする。そんな浅之進の顔を上げさせ、仙人は横にある手鏡を取った。
「ただ、浮世は夢のごとし──。おぬしは、自分ではまだ若いと思っているだろうが、実はおぬしが江戸を立ってから、もはや七十余年の歳月が流れたのじゃ。」
仙人がつき出す鏡を浅之進がのぞきこむと──そこに映るのはシワだらけの老人の顔。ギョッとして飛びすさる浅之進だったが、その姿が──まるで浦島太郎のように──あっという間に九十近いやせオヤジに変わってしまった。肉づきうすく、顔はシワだらけ、アゴ長く、髪もみな抜け落ち、まさに出家した老坊主──浅之進はヘナヘナとくずれ落ちる。
あまりのことに途方にくれて呆然としていると、その時どこからともなく音楽が鳴り響き、虚空の中にまばゆい光が現れた。光は紫雲をまとってゆっくりと舞い降り浅之進の右手の中に収まる──よく見れば、それは松茸の形をした木の棒である。
それを見て、仙人がニヤリと笑う。
「それこそが、おぬしを護ってくれた浅草観音の化身である。おぬしは、本来ならこの女護が島で多くの唐人たちとともに朽ち果てるところだったのに、浅草の観音が木の棒に姿を変えて、身代わりとなってセッセと励んでくれたおかげで助かったのじゃ。
このご恩に報いるためにも、これからは浅草の寺内に身を寄せ、おどけ咄で人を集めて浮世の不条理さらけ出し、世のタワけどもを戒めるのじゃ。今こそおぬしに、『道を志す』という文字をもって『志道軒』という名を授けよう。いざ、行かん!」
仙人が差し出す杖につかまって浅之進もヨロヨロと歩き出したが、いつの間にかあたりは真っ白な雲に包まれ、意識がだんだん遠のいていく……。
ハッと気がつくと、そこは葦簀で囲まれた小屋の中──浅之進は机を前にして座っている。目の前には大勢の人が集まり、みなが期待に胸をふくらませてワクワクしている。
浅之進は、しばらく目を閉じてじっとしていたが、やがて大きく息を吸いこみ、カッと目を見開いた。そして、手に持った木の棒で──志道軒が机を叩きはじめた。
トントントントン、トトン、トントン、
とんだ咄の、はじまり、はじまり……。
風流志道軒伝 完