巻之二(2)
浅之進、江戸を見る
浅之進は髪結床で前髪を落として元服し、駿河台の小高いあたりに小さな庵を借りてとりあえずの住まいとした。
さっそく庵に落ち着き、ぼんやりとまわりの景色を眺めていたが、家々が立ち続き雲煙もたなびいて遠くの方はよく見えない。ふと、ここが羽扇の使いどころかと思い取り出してみると、あら不思議、羽扇の中に江戸中の風景が鮮やかに映しだされた──南は品川、北は板橋、西は四谷、東は千住の外までも手にとるように見ることができ、シラミの足音、アリのささやきさえ聞こえる。
羽扇のスゴさを実感した浅之進は、これはまず修行の手始めとして、世の風俗を知るため江戸の町の一年を見てみようと思いつき、羽扇に念じれば──たちまち景色が移りゆく。
●
吹きくる風も寒々しく、道は凍てつき一面に霜が降りたつ夜──心細い師走の闇も、やがて鶏が騒ぎだしカラスが飛びかいはじめるころ、東の空に横雲たなびき茜さす初日が姿を見せ、神々しい光の中に江戸の町が浮かびあがった。
家々にはしめ縄が下がり、門松飾りのあいだを人々が行きかう。初登城の大名小名は今日を晴れの日と出で立ち、装束の袖をひるがえして進む。馬の蹄、カゴの足音、そのこだまは十里に響き、下馬所では槍持ちが独特の足取りで「下馬先の礼」を披露している。
家々は戸を閉ざして静かな趣きだが、門口では鳥追いや大黒舞の拍子が軽快に鳴りわたり、三河万才は大ウケの人だかり。新春の朝から羽根を追う振袖も艶かしく、子どもの手毬唄「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ…」も愛らしい。
正月定番の道中双六で盛りあがり、福引は老若男女が入り乱れての大騒ぎ。かけ鯛売り、はぜ売りの声が飛びかい、戸口からはカン高い声。
「申し!」
「どうれ。」
「恵美寿屋鯛兵衛、年始のお祝い申し上げます。」
綿入れを着て尻をはしょった丁稚が差し出すお年賀の扇子箱も、革のように見える豪華な紫紙を使っているのは、まず正月の初へつらい。
昨晩まで借金取りにせっつかれ、夜逃げしようか首くくろうかと心配ごとが年を越し、雑煮の前に座ってみても餅はノドを通らず。上に盛った昆布やゴボウをつつくだけで、まるで五、六十年も老けこんだように息も絶えだえの亭主に向かって、
「お若うおなりなされました!」
とは……笑えぬ年始のあいさつ。
門松飾りは竹にあやかって千代万世と願ってみても、しょせん根もなき飾りもの、永久不変も当てにはならず。そのほか俗の縁起かつぎにはおかしなものも多いが、害があるじゃなし気にすることでもない。
ただし、中にはそうも言えないものもある。古人の言葉にも『一年の計は元旦にあり』とあるが、これは元が乱れては末が収まらないことをいう。なので新春はひときわ心を引き締め、よからぬことは控えるべきなのに、正月といえば子どもまでが宝引・穴一の賭けごとをするものと思い、親々も「宝引しなきゃ蚊に食われる」などとフザけた言い訳をして夢中になる。これを幼いころから見て育っては、ご利口なご子息たちが勘当帳につくのは、みな親々の過ちである。
正月二日の芝居の幕開け。金主の景気はやぐら太鼓の勢いに響き、座元の手さばきは幕の間の長さでわかる。故きを温ねて新しき『八百屋お七』に盛り込んだ『曽我兄弟の仇討ち』。その中身は、ここではくどう(くどく)は言うまい。
正月三日から七日の賑わい。七草囃子の拍子をちがえて飯炊き女に笑われて、商家がその年で使う帳面をとじる「帳とじの祝い」では、キレ者の番頭もハメを外して大盃で酔っぱらい、大福帳の「大福入」の文字が重なっていくつも見えるのは儲けがいっぱいあるしるしと、どんなに酔っても数勘定だけは忘れない。
十五日は、綱引き、粥杖、どんど焼きの煙は空へ消えゆき、十六日のやぶ入り休みは、お女中方の小袖の華やかさに路地裏も輝いて、めかしこんだ若い者も浮き足立つ。コリャマタ組が待ちかまえ「こりゃまた、美しい」と余計な世話を焼く餅も固くなって歯にこたえるころは、もう浮かれ納めの二十日正月。
柳は色をふくみ梅は香を吐き、鳥のさえずり爽やかに、東風吹く空ののどかさを見上げれば、ゆうゆうと飛ぶ色鮮やかな凧が天を彩る。
如月(二月)になり、垣根にナズナ、タンポポの花が咲くころになると、となりの婆さまも浮かれだし、お釈迦さまの涅槃参りにはヘソクリはたいて数珠袋をそろえたのに、彼岸は団子のことしか頭にないのもまた可笑し。
弥生(三月)に入れば、白酒売りの声も春めいて、十軒店の人形市が騒がしくなると、ひな祭りの菱餅づくりも忙しく、三月三日は鶏合せ(闘鶏)の人だかり。
潮干狩りでハマグリをとり、十五日の梅若丸の命日には、めったに外に出ない尼法師まで先を争ってまっ先にお参りし、真崎の田楽も焼け野の雉ほろろ打つ。
昨日、今日と日ごとに季節が移り、飛鳥山の花盛りに染井のツツジも色を競いだす。あちこちに敷かれた花見の毛氈が虹のように映え、匂い袋の香りが草の上に満ちていく。お武家の奥方さまの上等な女カゴは華やかだが、つないだ馬はふてぶてしく、あちこちで盛り上がる余興の浄瑠璃モノマネのやかましいこと。
酔っぱらった勢いで下手くそな詩歌発句に腕まくりして、わざわざ桜の美しさをけがすよりも、ただ友と集って静かに酒酌みかわすほうがずっとここち良い。日も暮れておぼろ月夜に敷くものもなく、手酌の樽を枕にどんな夢を見るのか…ド派手なイビキも、また風情があるものだ。
江戸の外れの片田舎でも、弘法大師の御影供の参拝客をあてにして煮売り店が立ち並ぶ大師河原の賑わいは……世は食う界(空海)といったところか。
ほどなく卯月(四月)は衣更え。
仏の産湯のときも過ぎ、初ガツオの売り声高く、ほととぎす鳴くや五尺のあやめふく。
五月五日の端午の節句は兜飾りにのぼり旗、空には五色の雲(吹流し)ひるがえり、ちまき、かしわ餅の届けものに蒔絵の重箱行き来して、そろそろ夏の気配を感じとる。
判じ団扇や渋団扇、あおげばいよいよ高荷を背負った蚊帳売りの声聞こえ、水鶏たたくころからは五月雨(梅雨)が降り続き、衣類にカビもみなつき(水無月/六月)の氷餅。六月一日は、加賀の氷室の氷献上。山開きの富士参りは、群衆が巻き上げる土ぼこりで麦わら龍も雲を起こすかという勢いだ。
文月(七月)は、花火の盛りが両国を照らし、舟は水の上にあふれ、人は地を覆い、夜空には恋する二人の天の川。七夕は星へ手向けてしおらしく、琴の爪音かきならす。
十三日からの盆は、麻がら、ハスの葉、ウリ、なすびにツケの取立てまで入り乱れ、精霊まつって生者も祝う。
廓の灯籠が美しく飾られ、八月一日は遊女が白無垢を着る八朔の白妙。約束した客を待宵の十四日からは早くも月見のバカ騒ぎ。遊女が見世先に出るときの三味線音ですでにウワずった客も、落ち着いた上品な客も、まずは月見の趣向の人形回しを楽しめば、となり座敷の粋な本田髷(オシャレマゲ)の連中も、負けてはいられぬと河東節を唄いだす。声は山彦のように響き、三味線の音も清見八景。みながこがれる舟の内、人の心もうかぶ瀬に、里神楽の三番叟よろしくお膳のブドウを手にとって、
「めでたき鈴を差し上げましょう。」
とは、たいこ持ちの軽口。
客の羽織りをはぎ(萩)の花。ススキのように目を細めて愛想笑いをしても、心の欲が穂(頬)にでるやり手(遊女を管理する女)や若い衆が、うまい口をきく月(菊月/九月)は、九日の菊の節句に後のひな祭り。十三夜のお月見には、わが国ならではの風流さが漂う。
中菊の盛りのころは渋谷の隠居のもの好きが伝わり、目黒不動の餅花、芝の神明宮の生姜市も賑わいをみせる。
神無月(十月)の玄猪十夜も過ぎ、日蓮の御命講が銭をとらぬ見世物のように華やかな万灯を飾れば、えびす講では「百万両!」のかけ声が商人の虚飾をみたす。
顔見世芝居が近づくと役者の番付売りが八方へ散り、町中に下がった芝居の提灯が役者の紋を輝かす。
霜月(十一月)は、帯解きの子どもの裾も長く、親鸞の報恩講は尻がモゾモゾするほど念仏が長い。
新茶の口切、ふいご祭りも終わり、十二月一日の乙子の餅を祝うころには、雪やアラレが降りしきり身をそぐような冷たい風が吹きすさぶ。裕福な者たちは、コタツで滋養のある肉を食べて冬にそなえるが、手水鉢の柄杓も氷に閉ざされ、軒のつららが剣のように連なる寒い日でも、日々の仕事に追われる者は手足をアカギレだらけにして西から東、南から北と歩きまわる。さらに力仕事の者などは、わずかな金のために肌をあらわにして、寒空の下でも汗を流して働いている。このような下々のことを、上に立つ者はもっと思いはかるべきだろう。
暮れもせまる十三日は、煤払いの騒々しさ。綿入れの上に単衣を引っかけ、いつもは足りないと思っていた家財道具も、こんなときには多すぎると思い、手に手に持ってウロつきまわる。神様は屏風のウラに鎮座ましまし、仏様は飯びつの上にご来迎。何の役にも立たない物もとりあえず渋紙に包んでしまい込み、探していた器が箱の底から見つかったりするのは嬉しいこと。下男たちは、家具についた真新しいキズを譲り合う。
畳も叩き諸道具もきちんと片づいたさまは、なかなか清らかだが、その体を見れば手足も顔も鍋底のように汚れ、目だけがギョロついて鼻の下が真っ黒なのがちょっと可笑しい。最後にひとっ風呂浴びて、やっと人ごこちつく。
いよいよ暦も人の心も押しづまり、道行く人も追われるように足早になる。町々では正月飾りの材料や羽子板が売られ、とくに浅草市はたいへんな人だかり。
節季候の門付けもやかましく、餅つきで盛りあがり、親しき者との忘年会は拳酒で酔っ払って「九」「十」と大はしゃぎ。
やたらと商売の手を広げても、義太夫節でいえばもう最後の五段目、大詰めの大晦日までバタバタしていては、もはや八人芸でも間に合わず──そりゃ獅子舞も出る幕なし。
ツケの取立ては革財布を膝の上にのせ、目をむき出して身じろぎもしない──まるで九年間壁に向かって座り続けた達磨大師のごとき迫力。対して、金のアテもないのに何だかんだと情けない言い逃れ……この時ばかりは、愚かでも富める者は立派に見え、いくら賢くても貧しければ、ただのバカモノである。
節分の柊、イワシの頭も信心からと言うが、豆ごときで逃げる鬼なら来たとしてもどうということもない。門付けの厄払いは十二文で悪事を払うらしいが、その程度で払われる災難なら邪魔にもならず。
獏は悪夢を食らうとして初夢のためにその絵を敷いて寝るが、江戸中の悪夢を食ってるのにそのフンを見た者はない。宝船が縁起がいいといっても、宝船をを見た者も作れる船大工もいないのに、想像で描いた絵では手前勝手な気休めにすぎない。
●
一年のうちには四季を通してさまざまに移り変わる風俗だが、つまるところは『金』という一字に行き着き、結局は人の欲にふりまわされるだけのことか……と、ため息をついて浅之進は羽扇を置いた。
だいぶ時間が過ぎたように思えたが、火にかけてあった飯がまだ炊き上がるようすもない。これはますます羽扇の不思議さに感じ入り、ここは風来仙人の教えに従って、さっそく日本をはじめ、唐、天竺、さらには諸々の外国まで見て回ろうと、浅之進は立ち上がった。